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傅良佐 : ミニ英和和英辞書
傅良佐[ふ りょうさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふ]
 【名詞】 1. instructor 2. tutor (to a prince)
: [りょう]
 【名詞】 1. good 
: [さ]
 【名詞】 1. help 

傅良佐 : ウィキペディア日本語版
傅良佐[ふ りょうさ]

傅 良佐(ふ りょうさ)は清末民初の軍人。北京政府安徽派に属し、段祺瑞配下の「四大金剛」(他は靳雲鵬徐樹錚呉光新)の1人と称される。清節
== 事績 ==
1894年(光緒20年)、湖南時務学堂で学ぶが、まもなく北洋武備学堂に転学した。卒業後に日本に留学し陸軍士官学校第3期砲兵科を卒業した。帰国後は北洋督練処提調、兵備幇弁を歴任する。1907年(光緒33年)、東三省兵備処擬訂軍制に任ぜられ、まもなく吉林辺務幇弁兼護理督弁事宜に昇進した。その後、袁世凱に招聘され、軍事参議に任ぜられている。
中華民国成立後の1912年民国元年)に、傅良佐は総統府軍事処処長に任ぜられ、中将に昇進した。同年11月、察哈爾省副都統に任ぜられる。翌年6月、直隷省に転任し、薊楡鎮守使や高等軍事裁判処処長などをつとめた。
1916年(民国5年)5月、傅良佐は陸軍部次長に栄転する。翌月の袁世凱死後、傅は段祺瑞率いる安徽派に属し、「四大金剛」の1人として有力幹部と目されている。翌年7月の張勲復辟では、傅は段を補佐して張勲の掃討戦を敢行した。翌月、この功績もあって湖南督軍兼冠威将軍に任ぜられている。しかし同年11月、傅は陸栄廷旧広西派(旧桂系)との戦いに敗北し、湖南を追われてしまう。後に辺防督弁公署参謀長に転じた。
1920年(民国9年)7月の安直戦争の際に、傅良佐は段祺瑞の密使として天津直隷派との交渉にあたった。しかし、傅はかえって直隷派に逮捕、収監されてしまう。結局、安徽派は安直戦争で敗北し、傅は1922年(民国11年)5月にようやく釈放される。その後、傅は引退して天津に引きこもった。
1926年(民国15年)、天津で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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