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佐賀昇博 : ミニ英和和英辞書
佐賀昇博[さがのぼり ひろし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ばく, ひろ]
  1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive

佐賀昇博 : ウィキペディア日本語版
佐賀昇博[さがのぼり ひろし]
佐賀昇 博(さがのぼり ひろし、1961年11月27日 - )は、佐賀県藤津郡塩田町(現・同県嬉野市、出生地は杵島郡白石町)出身で、押尾川部屋に所属した大相撲力士である。本名は林 博(はやし ひろし)。現役時代の体格は192cm、119kg。得意手は左四つ、下手投げ。最高位は東前頭14枚目(1988年11月場所)。
趣味は、音楽鑑賞と読書。
== 来歴・人物 ==
幼い頃両親を亡くし、姉や弟と一緒に児童養護施設で育った。塩田町立塩田中学校を卒業後、同郷の元大関・大麒麟が率いる押尾川部屋に入門し、1977年3月場所にて15歳で初土俵を踏んだ。
なお、同期の初土俵には同じ押尾川部屋の騏ノ嵐恵那櫻がおり、自身を含む3人全員がその後幕内まで出世している。〔ただし、3人が同時に幕内にいた事はない。〕
逆境にめげず、力士としては細い体で努力した。その甲斐あって、1986年9月場所で十両昇進、そして昭和年代最後の場所となる1988年11月場所で貴ノ浜と共に新入幕を果たした。
常に気力溢れる相撲を展開し左四つからの下手投げを得意としたが、体の細さもあって幕内では通用せず、新入幕の場所では5勝10敗と大きく負け越して1場所で十両に逆戻り。幕内は結局、この1場所しか務まらなかった。
1992年9月場所を最後に十両の地位からも遠ざかり、以降は腰を痛めて番付を大きく下げ、1993年9月場所では序二段60枚目まで陥落する屈辱を味わった。〔元幕内力士の序二段への陥落は、昭和以降2人目の珍事ではあったが、1人目は同部屋・同期入門の騏ノ嵐であった。以後、自身と同じ二所ノ関一門の力士では、若ノ城玉海力らも経験。〕
その後は幕下20枚目まで番付を戻し、幕下44枚目に在位した1996年1月場所を以って、34歳で廃業
現在は、東京都中央区銀座大阪市中央区西心斎橋で、相撲料理店「相撲茶屋 佐賀昇」と「すもうキッチン 佐賀昇」を経営している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐賀昇博」の詳細全文を読む




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