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佐藤元長 : ミニ英和和英辞書
佐藤元長[さとう げんちょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 

佐藤元長 : ウィキペディア日本語版
佐藤元長[さとう げんちょう]
佐藤 元萇(さとう げんちょう、文政元年(1818年) - 明治30年(1897年8月7日)は、日本の医師江戸幕府医学館教授。森鴎外漢詩漢文の師である〔小堀桂一郎『森鴎外』ミネルヴァ書房、55頁〕〔『森鴎外と千住』「第2章 周囲の人々と森家の暮らしから」〕。号は応渠〔『足立史談 第48号』渡辺春園「佐藤元萇先生と森林太郎」〕。
==生涯==
父は佐藤重俊である。陸奥国会津に生まれ、会津藩藩主松平容保の侍講を務めた高津淄川〔*>高津は古賀精里の弟子で、日新館で年少藩士の教育にあたった。漢詩人として草場佩川と並び称された人物である。思案橋事件で刑死した高津仲三郎は三男。〕に学んだ。江戸詰御医師として五人扶持を給され〔『慶應年間会津藩士人名録』(勉強堂書店)71頁〕、藩邸を拠点に多紀元堅(多紀茝庭)から医学を学ぶ〔*>多紀塾登門録では天保14年(1843年)3月の入門。〕。佐藤は多紀塾の塾頭に進んだ。黒船来航後に種痘を学び、郷里で施術を行っている。安政4年(1857年)に幕命によって医学館医書校正となり、講師を経て教授に進んだ。文久3年(1863年)には征夷大将軍徳川家茂に拝謁し、袋杖登城を許された〔『会津人物事典 文人編』〕。藩命により幕末の京へも赴いている。維新後は千住で医業を営んだほか、私塾を開いて近在の子供たちを教育した。のち茨城県下妻町で病院長を務める。墓所は池上本門寺

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐藤元長」の詳細全文を読む




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