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佐藤中陵 : ミニ英和和英辞書
佐藤中陵[さとう ちゅうりょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [みささぎ]
 【名詞】 1. imperial mausoleum 2. Emperor's tomb 

佐藤中陵 : ウィキペディア日本語版
佐藤中陵[さとう ちゅうりょう]
佐藤 中陵(さとう ちゅうりょう、宝暦12年2月11日1762年3月6日) - 嘉永元年6月6日1848年7月6日))は、水戸藩本草学者。名は成裕、字は子綽、通称は平三郎。中陵は号。他に、温故斎、青莪堂とも号した。
== 生涯 ==
佐藤端義の子として江戸青山に生まれた。薩摩藩白河藩米沢藩会津藩備中松山藩・水戸藩に本草学をもって仕えた。水戸藩には、寛政11年(1799年)から水戸藩主文公に召され植物方として仕え、文政10年(1827年)には江戸奥方番となり、天保7年(1836年)からは水戸に勤務した。天保14年(1843年)には御次番列に進んで弘道館本草教授となった。水戸藩主徳川斉昭の命により『山海庶品』を編纂した。北海道を除く日本全国を巡る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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