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佐川幸義 : ミニ英和和英辞書
佐川幸義[さがわ ゆきよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [さち]
 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

佐川幸義 : ウィキペディア日本語版
佐川幸義[さがわ ゆきよし]

佐川 幸義(さがわ ゆきよし、1902年明治35年)7月3日 - 1998年平成10年)3月24日)は、日本武術家。大東流合気柔術中興の祖といわれる武田惣角の直弟子のひとり。
==概要==
大東流合気武術第36代宗家。大東流合気柔術宗範。大東流合気武術佐川道場主宰。
身長163cm(85歳頃)、体重57㎏(20歳頃)ほど、華奢で色白な風貌であった〔『合気修得への道』157頁〕。
武田惣角の合気を継承。独自に研究・工夫を凝らしながら厳しい修業を半世紀以上にわたって積み重ねた。
合気」について「敵の力を無にする技術である」と語り、指導においては抽象的な精神論や宗教的な説明は用いず、「姿勢を真っ直ぐに保て」「下腹に力を入れよ」など具体的な技術面を強調していた〔『佐川幸義先生伝 大東流合気の真実』149頁、193頁。なお、佐川道場に掲示された佐川直筆の「合気武道遺訓」には「宇宙天地森羅万象の全ては融和調和に依て 円満に滞り無く動じて居るのである その調和が合気なのである」と合気の精神性が説かれていた(『佐川幸義先生伝 大東流合気の真実』5頁)。〕。
70代で開発したという体の合気は、体の作用のみで相手を吹き飛ばすもので濡れ雑巾を床に叩きつけるかのようなスピードがあり、高速度カメラで撮影された写真が残されている。
空手ボクシングなども研究し、それまでの大東流になかった合気拳法を創作した。
最晩年は腰を痛め、歩くのも困難であったが門人を投げ飛ばす迫力は衰えなかったという。
92歳の時に心臓の検査を受けるために医師に「何か運動をしてほしい」と頼まれたところ、その場で腕立て伏せを150回やってみせた。
自分の技が表に出るのを警戒した。映像に残す事も許可せず、本を書くのを許した際も、技術の僅かな記述にも神経質だった。
弟子をとる時は、礼儀が出来ているか、きちんとした人生を歩んでいるかを見たと言う。
長男が17歳で病死、佐川が70代の時に妻を亡くしてからは病身の次男との二人暮らしで、炊事洗濯など家事一切を担った。父の資産で購入した東京小平の自宅周辺の千坪の敷地に十数軒の貸家を建て、その収入で生活に不自由がなく、また実子後継者も居ない為、自己宣伝を行なわず〔戦後の上京後に荘内日報に掲載された以外は#参考文献に於ける鶴山氏の著作で紹介されるまで殆ど全国的なメディア露出も無かった。〕道場や流派の拡大〔上記、鶴山氏の著作では東日本の支部が数ヶ所挙げられている。〕も余り図らなかった〔『佐川幸義先生伝 大東流合気の真実』321頁、『孤塁の名人』7頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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