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伊達兵部 : ミニ英和和英辞書
伊達兵部[だて]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

伊達 : [だて]
  1. (adj-na,n) dandyism 2. vainglorious 3. showy 4. gallantry 
: [たち, たっし]
  1. (n-suf) plural suffix 
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy

伊達兵部 ( リダイレクト:伊達宗勝 ) : ウィキペディア日本語版
伊達宗勝[だて むねかつ]

伊達 宗勝(だて むねかつ)は、江戸時代前期の大名陸奥仙台藩初代藩主・伊達政宗の十男。仙台藩支藩・陸奥一関藩の藩主。伊達騒動の中心人物の一人。官名の兵部大輔による伊達兵部の呼び名で知られる。
== 生涯 ==
元和7年(1621年)、伊達政宗の十男として生まれる。幼名は千勝丸
異母兄・忠宗が存命中は特に目立った行動はなかったが、万治元年(1658年)に忠宗が死去して綱宗が跡を継ぐと、藩祖・政宗の息子であるという自負で、綱宗の庶兄・田村宗良とともに藩政を見た。嫡子・宗興の正室に酒井忠清の養女を迎えるなど幕府との繋がりも強く、万治3年(1660年)には3万石の分知を受けて大名となった。同年、綱宗が幕命によって隠居を余儀なくされ、その跡をわずか2歳の長男・綱村が継ぐと、宗勝はその後見人となって仙台藩を専横するようになった。
そのような中で寛文11年(1671年)、伊達騒動(寛文事件)が起こり、仙台藩は改易の危機に立たされた。これは当時、第4代将軍・徳川家綱のもとで大老として権勢を誇っていた酒井忠清と宗勝が密約を結んで、仙台藩を事実上乗っ取るつもりだったとも言われているが、幕府の裁定によって藩主・綱村は若年であるということでお咎め無しの上、仙台藩は安泰とされた。
しかし、宗勝は年長の後見役でありながらみだりに刑罰を科して仙台藩政の混乱をもたらし、果ては江戸での刃傷沙汰という不祥事を招く原因を成したとして、一関藩は改易となった。加えて宗勝の家族には永預の処分が下され、宗勝自身は土佐藩主・山内豊昌預かり、嫡男・宗興は豊前小倉藩主・小笠原忠雄預かり、その妻子は伊予吉田藩宇和島藩支藩)主・伊達宗純預かり、宗勝の側室2人と子4人(虎之助・兵蔵・於竹・於妻)は岩出山の伊達宗敏預かりとされた。この処分によって一関伊達氏は宗勝一代で御家断絶となり、一関藩領3万石は仙台本藩領に復帰し、家老・新妻胤実以下一関藩士一同も仙台本藩に帰属した。
土佐藩に引き渡された宗勝は、土佐郡小高坂に設けられた配所で余生を送り、延宝7年(1679年)11月4日に死去した。享年59。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊達宗勝」の詳細全文を読む




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