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伊勢甚ジャスコ : ミニ英和和英辞書
伊勢甚ジャスコ[はずみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はずみ]
 【名詞】 1. (1) bounce 2. spring 3. rebound 4. (2) momentum 5. inertia 6. (3) spur of the moment

伊勢甚ジャスコ ( リダイレクト:伊勢甚 ) : ウィキペディア日本語版
伊勢甚[いせじん]

伊勢甚(いせじん)は、茨城県の企業グループである伊勢甚グループ、およびその中心である株式会社伊勢甚本社の旧商号である。
本項では、ボンベルタ伊勢甚(伊勢甚百貨店)伊勢甚ジャスコジンマートについても記述する。
== 概要 ==

1724年(享保9年)に「伊勢屋」として呉服屋を開いたのが始まりである〔“伊勢甚水戸店が閉店”.朝日新聞(朝日新聞社). (2003年2月21日)〕。
水戸における有力な呉服商として栄えていたが、第2次世界大戦時の空襲で蔵を残して全焼した〔水戸市史編さん近現代専門部会 編 『水戸市史 下巻(三)』 水戸市、1998年5月。〕。
1957年(昭和32年)10月に増築工事を完了して本格的に百貨店事業に参入し、その後も複数回の増床を重ねながら水戸店は売り場面積約2万m²の百貨店へ発展した〔。
1963年(昭和38年)9月22日にはジンマートの1号店として下市店を開店したのを皮切りにスーパーマーケットのチェーン展開も進めた〔。
また、1967年(昭和42年)には日立市の丸和百貨店を買収して日立伊勢甚として傘下に組み入れて〔同市鹿島町に出店し〔“伊勢甚日立店 来春閉店へ”.読売新聞(読売新聞社). (2004年8月21日)〕、百貨店の多店化も進めた。
1977年(昭和52年)8月21日に〔李敬泉. “ジャスコの出店戦略の原型”. 大阪市立大学 経営研究 第55巻第1号 (大阪市立大学) (2002年).〕株式会社伊勢甚百貨店と株式会社日立伊勢甚、株式会社ジンマートとがジャスコ(現・イオン)と合併し〔『イオン株式会社 第85期有価証券報告書』 イオン株式会社、2010年5月14日。〕、小売事業はジャスコ(現・イオン)グループに移管された。
この小売事業の移管に当たってはジャスコ(現・イオン)100%出資で「伊勢甚(現ボンベルタ伊勢甚)」を設立し、旧伊勢甚百貨店の水戸店と旧日立伊勢甚の日立店を同社が継承した〔長谷川典義 (2004年8月21日). “ボンベルタ伊勢甚閉店へ 土地・建物賃貸借契約更新できず”. 毎日新聞 (毎日新聞社)〕。
1983年(昭和58年)に勝田市(現・ひたちなか市)春日町に3番目の百貨店となる伊勢甚勝田店を開店した〔“ひたちなかのジャスコ勝田店、来月20日閉店”. 茨城新聞 (茨城新聞社). (2010年1月16日)〕ほか、1985年(昭和60年)6月には〔“伊勢甚日立店 来春閉店へ”.読売新聞(読売新聞社). (2004年8月21日)〕日立市神峰町1丁目の〔日立駅前の平和通りに日立店を移転させ〔1992年(平成4年)11月26日には北茨城市に伊勢甚ジャスコ北茨城店を開店する〔“伊勢甚ジャスコ、26日北茨城市に伊勢甚ジャスコ北茨城店オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年11月20日)〕などジャスコ(現・イオン)グループ入り後も伊勢甚の名称を冠して出店を続けた。
1989年(平成元年)にボンベルタ伊勢甚と社名を変更した〔。
しかし、1994年(平成6年)8月21日付で伊勢甚ジャスコの大型店はジャスコ本体の茨城事業部に、小型店はジャスコの別会社・茨城ウエルマートに各々移管され、スーパーマーケットの店舗から伊勢甚の名が消えることになった〔“ジャスコ、関東地区の運営再編 関東事業本部に茨城など5事業部設置”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年11月14日)〕。
また、同年には伊勢甚勝田店をジャスコに譲渡して〔スーパーマーケットに転換されたため〔、伊勢甚を名乗る店舗は水戸店と日立店のみとなった〔。
水戸店は1980年代後半の最盛期には約210億円の売上を上げていたが2001年(平成13年)度は約100億円まで売上が減少したうえ建物の老朽化や郊外型のショッピングセンターなどとの競合が対応することが困難に成ったとして2003年(平成15年)2月20日に閉店となり、「伊勢屋」から続いた歴史に終止符を打った〔。
そして、最後に残った日立店も、最盛期の1991(平成3年)~1992年(平成4年)に比べ売上が約25%減少して2004年(平成16年)2月決算で約108億円に落ち込んだうえ〔、土地と建物を所有する「神峰総合開発」との賃貸契約が2005年(平成17年)6月契約満了となって回収費用などを巡って条件が合わなかったことから更新せず〔、2005年(平成17年)5月20日に閉店することになった〔“伊勢甚日立店 ビル差し押さえ”.読売新聞(読売新聞社). (2005年5月20日)〕。
この日立店の営業終了により、江戸時代から続いた小売業としての「伊勢甚」の店名はその歴史に終止符を打つ形となった〔“伊勢甚日立店が撤退へ 江戸時代から続く看板に幕” 産経新聞 (産経新聞社). (2004年8月21日)〕。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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