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介川通景 : ミニ英和和英辞書
介川通景[すけかわ みちかげ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かい]
  1. (n,vs) shell 2. shellfish 3. being in between 4. mediation 5. concerning oneself with
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 

介川通景 : ウィキペディア日本語版
介川通景[すけかわ みちかげ]
介川 通景(すけかわ みちかげ、安永9年12月29日1781年1月23日) - 弘化4年10月16日1847年11月23日))は江戸時代久保田藩重臣。能代奉行や両右筆支配などを勤める。通称は亀治、東馬。は子明。は緑堂、静斎。石高は319石余。家格は最終的に廻座(宿老)。介川東馬で著名。子は介川通顕(作美)。秋田武鑑では介川将監の子孫としている。「秋田武鑑」製作当時の家格廻座の小野崎氏分流介川氏当主である。父は介川通遠。
== 経歴 ==
久保田城下にて出生し、藩校明徳館に学ぶ。寛政7年(1795年)に出仕し、文化元年(1804年)に副役で江戸在番となる。
文化7年(1810年)に財用奉行に就任し、翌年に勘定奉行となり銅山奉行を兼帯する〔「秋田武鑑」の『諸役順列』に銅山奉行は当時勘定奉行より兼とある〕。文政10年(1827年)12月12日に一代限定で宿老の家格となる。
天保7年(1836年)に能代奉行を兼帯するが、三年後に辞職し、その翌年には病気により全ての役職を辞す。
天保12年(1841年)10月15日に大番頭格の両右筆支配に就任〔「三百藩家臣人名事典1」では大番頭とするが「秋田武鑑」では通景は大番頭の就任者に見えず、大番頭格である両右筆支配に見える。〕し、弘化2年(1845年)に老衰により辞職。翌年6月24日に藩主佐竹義厚より多年の功を賞され、家格が永代宿老となる。
弘化4年(1847年)10月16日死去。墓所は永源院。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「介川通景」の詳細全文を読む




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