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仇首王 : ミニ英和和英辞書
仇首王[きゅうしゅおう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かたき]
 【名詞】 1. (1) foe 2. enemy 3. rival 4. (2) (object of) revenge 5. enmity 6. grudge 7. feud 8. harm 9. evil 10. (3) ruin 1 1. invasion
: [しゅ, くび]
 (n,n-suf) counter for songs and poems
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

仇首王 : ウィキペディア日本語版
仇首王[きゅうしゅおう]

仇首王(きゅうしゅおう、生年未詳 - 234年)は百済の第6代の王(在位:214年 - 234年)であり、先代の肖古王の長子。『三国史記』百済本紀・仇首王紀の分注や『三国遺事』王暦では貴須王の別名も記される。214年10月に先王の死去により王位についた。は伝わっていない。
子に沙伴王比流王がいるが、第7代沙伴王は234年に即位、第11代比流王は304年に即位したとされている。兄弟が70年間の差を開けて即位したとは考えにくい。
== 治世 ==
蓋婁王・肖古王に引き続き、新羅靺鞨との交戦が続いた。新羅へは218年7月に攻め入って獐山城(慶尚北道慶山市)を包囲したが、新羅王(奈解尼師今)の反撃を受け、敗退した。222年10月には牛頭城(江原道春川市)に侵入して略奪し、迎え撃つ伊伐飡(新羅の1等官)の忠萱を熊谷(江原道春川市東南の甘渓〔熊谷についてはほかに江原道横城郡横城面の旧称とする説、江原郡平昌郡珍富面とする説がある。〕)で大破した。224年7月には一吉飡(7等官)の連珍が侵入してき、烽山(慶尚北道栄州市〔他に烽山の候補として、『新増東国輿地勝覧』には慶尚南道昌寧郡霊山面に烽山烽燧の名称が見える。〕)で迎え撃ったが敗北を喫した。
靺鞨に対しては、216年8月に赤峴城まで侵入されて包囲されたが、城主は防戦に努めて靺鞨兵が引き上げたところを追撃し、沙道城の付近で大いに戦果をあげた。その後も220年10月に北部辺境に侵入されたのを撃退したが、229年11月に牛谷城周辺に侵入されたときには、精兵300を派遣したが、靺鞨軍の伏兵に挟撃され大敗した。
在位21年にして234年に死去した。埋葬地は伝わっていない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「仇首王」の詳細全文を読む




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