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仁多見史隆 : ミニ英和和英辞書
仁多見史隆[にたみ ふみたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にん, じん]
 (n) kernel
: [た]
  1. (n,pref) multi- 

仁多見史隆 : ウィキペディア日本語版
仁多見史隆[にたみ ふみたか]

仁多見 史隆(にたみ ふみたか、1974年12月27日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手。新潟県新潟市出身。アトランタオリンピックライトウェルター級日本代表。右ボクサータイプ。身長173cm。興農館高等学校〔2002年、廃校となった。〕、東京農業大学卒業。弟・暢尚(のぶひさ)もアマチュアボクシング経験者〔ボクシング - 仁多見暢尚(新潟)ボクシング少年男子ライトウエルター級 北日本新聞〕。
== 来歴 ==
1992年、インターハイ〔204頁。〕・全国高校選抜〔207頁。〕・べにばな国体少年の部〔206頁。〕のいずれもライトウェルター級で優勝を収めた。
大学時代の1993年から1996年にかけて、副島保彦(1978年 - 1981年)に続き、4年間で1部リーグ戦全試合出場・全試合勝利を達成した〔2006年、同じ東京農業大学の大平直樹が同記録を達成、史上3人目となった。〕。この間1994年にはわかしゃち国体成年の部ライトウェルター級で優勝を収め〔、1995年・1996年の2年間は全日本選手権(2大会連続)〔202頁。〕、ふくしま国体ひろしま国体成年の部〔のいずれもライトウェルター級で優勝を収めた。
4年在学中の1996年、第3次アジア予選(キングスカップ)ライトウェルター級で優勝を収めて〔アトランタオリンピックに同級の日本代表として出場し、1回戦に6-21のポイント負けとなった〔Fumitaka Nitami Biography and Olympic Results | Olympics at Sports-Reference.com sports-reference.com.〕。大学卒業後は財団法人新潟市開発公社に勤務し、1997年のなみはや国体成年の部ウェルター級で優勝を収めた〔。通算戦績は151戦141勝10敗〔。
1999年から新潟県の国体少年男子監督。2012年現在、新潟県アマチュアボクシング連盟副理事長、日本オリンピック委員会 (JOC) 強化スタッフを務める〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「仁多見史隆」の詳細全文を読む




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