翻訳と辞書
Words near each other
・ 京都サンガFC
・ 京都サンガFCの選手一覧
・ 京都シアター1200
・ 京都シティエフエム
・ 京都シティハーフマラソン
・ 京都シティ開発
・ 京都シネマ
・ 京都ジャンプステークス
・ 京都スタジアム
・ 京都ステーションセンター
京都ステーションホテル
・ 京都セラミック
・ 京都セラミツク
・ 京都タクシー
・ 京都タクシー株式会社
・ 京都タワー
・ 京都タワー研究会
・ 京都ダイカスト工業
・ 京都ダイヤフェニックスBC
・ 京都ダイヤフェニックスベースボールクラブ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

京都ステーションホテル : ミニ英和和英辞書
京都ステーションホテル[きょうとすてーしょんほてる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みやこ, きょう, けい]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis
京都 : [きょうと]
 【名詞】 1. Kyoto 
: [みやこ]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

京都ステーションホテル : ウィキペディア日本語版
京都ステーションホテル[きょうとすてーしょんほてる]

京都ステーションホテル(きょうとステーションホテル)は、かつて京都駅北側(東洞院塩小路南西角)に存在したホテル。京都センチュリーホテルの前身である〔日本人の忘れ物 第2部 京都新聞〕〔会社概要 京都センチュリーホテル〕。戦前の京都において京都ホテル(現京都ホテルオークラ)、都ホテル(現ウェスティン都ホテル京都)に次いで3番目に開業したホテルであり、他の2軒とは異なりビジネスホテル的な性格を持っていた〔45.ステーションホテル 京都ホテルグループ〕。
== 歴史 ==

=== 京都のホテルの歴史 ===

日本初の本格的なホテルは、1869年(明治2年)にホテル専業となった横浜ホテルである。京都初の外国人専門宿泊施設は祇園の中村屋(現中村楼)であり、1868年(明治元年)に洋間8室を備えた新館を設けたが、尊王攘夷の風が吹き荒れる京都に宿泊する外国人は少なかった。1872年(明治5年)には知恩院建仁寺内国勧業博覧会が開催されたが、一般外国人の宿泊場所としては円山と下河原の日本旅館があてがわれている。1877年(明治10年)には八坂神社前に自由亭ホテルが開業し、西洋料理を看板にして外国人宿泊者の獲得を目指した。1881年(明治14年)のマレー・ハンドブックの『日本案内記』初版には全国のホテル一覧表(全27軒)が記されており、京都では自由亭、也阿弥、中村屋の3軒が挙げられている。1891年(明治24年)の第3版では常盤ホテル(京都ホテルの前身)、也阿弥ホテル、中村屋の3軒となり、自由亭は姿を消した。1903年(明治36年)の『チェンバレン日本帝国小史』第7版では也阿弥ホテル、京都ホテル、都ホテルの3軒となった。これらは外国人による宿泊案内であり、ホテルと旅館の区別を行っていないことに注意が必要である。〔京都ホテル(1988)、pp.142-148〕〔木村(2006)、pp.203-204〕
円山公園内に也阿弥楼が開業したのは1881年(明治14年)であり、塔頭を改造した純和風2階建の割烹旅館風だったが、屋根の看板には英語で「HOTEL」と書かれており、イギリス流の洋食が提供された。新聞で「也阿弥ホテル」と表記されることはなく、実態は和洋兼用の料理旅館だったとされる。1889年(明治22年)には東京から神戸まで鉄道が全通し、観光客を期待する京都では本格的なホテルの誕生が熱望された。河原町二条の勧業場跡地にホテルの建設が計画され、琵琶湖疏水の第一期工事完成に間に合わせるように1890年(明治23年)4月14日に常盤ホテル(京都ホテルの前身)が開業した。開業当初は「京都ホテル」「京都ホテル常盤」「常盤楼」の表記が併用されたが、1891年(明治24年)以降は「常盤ホテル」表記が定着し、この常盤ホテルが京都初の本格的なホテルとされる。1891年5月11日には、常盤ホテルに滞在していたロシア皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が巡査に切りつけられる大津事件が起こり、事件後には明治天皇などが常盤ホテルを訪れてニコライ皇太子を見舞っている。〔京都ホテル(1988)、pp.149-208〕〔木村(2006)、p.205〕
1895年(明治28年)には第4回内国勧業博覧会が開催され、また平安京遷都1100年や平安神宮創建などの行事が重なって多数の入洛客が予想された。也阿弥ホテルの経営者井上萬吉の弟である井上喜太郎が常盤ホテルの経営権を獲得し、3月6日、常盤ホテルは京都ホテルと名をあらためて営業再開した。1900年(明治33年)10月には蹴上に都ホテルが開業し、1901年(明治34年)には也阿弥が洋式ホテル化して也阿弥ホテルが開業した。京都ホテル、都ホテル、也阿弥ホテルの3ホテルが競合する時代を迎えたが、也阿弥ホテルは火災を繰り返したため京都市に用地の返還を命じられ、1905年(明治38年)には閉業した。1915年(大正3年)時点の各都市のホテル数は、雲仙8、神戸8、横浜7、東京6、長崎5、軽井沢3、京都3、有馬3、日光2などであり、100人以上を収容可能なホテルは全国に9棟しかなかったが、このうち2棟(京都ホテル・都ホテル)が京都にあった。〔京都ホテル(1988)、pp.190-222〕


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「京都ステーションホテル」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.