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二俣事件 : ミニ英和和英辞書
二俣事件[ふたまたじけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [に]
  1. (num) two 
: [また]
 【名詞】 1. groin 2. crotch 3. thigh
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
事件 : [じけん]
 【名詞】 1. event 2. affair 3. incident 4. case 5. plot 6. trouble 7. scandal 
: [くだん, けん]
 【名詞】 1. matter 2. case 3. item 

二俣事件 : ウィキペディア日本語版
二俣事件[ふたまたじけん]

二俣事件(ふたまたじけん)とは、1950年1月6日に当時の静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で発生した、四人が殺害された事件である。逮捕・起訴された少年が地裁・高裁とも死刑判決を受けたが、最高裁が審理を差し戻した後の地裁・高裁とも無罪判決を受け、無罪が確定した。
同じ静岡県内で起きた袴田事件と並ぶ冤罪事件の一つとして知られる。この事件では、当時静岡県警察警部補であり、多くの冤罪を作った紅林麻雄による拷問での尋問と自白強要、これに基づく供述調書作成などが、同僚警官の告発書により明らかとなった。
==事件・捜査の概要==
1950年1月6日、当時の静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で、就寝中の父親(当時46歳)、母親(当時33歳)、長女(当時2歳)、次女(当時生後11か月)の四人が殺害された。父親と母親の夫妻は鋭利な刃物で多数の部位を刺傷した出血による刺殺、長女は扼殺、次女は母親の遺体の下で窒息死した。被害者宅の時計は針が11時2分を指した状態で破損し、被害者の血痕がついた犯人の指と推測される指紋が付着していた。建物周辺には被害者一家の靴と合致しない27cmの靴跡痕があり、犯行に使用した刃物と被害者の血痕が付着した手袋が発見された。犯行現場には血痕がついた新聞が残されており、犯人は殺害した後に新聞を読んでいた可能性がある。同じ部屋にいた長男(当時10歳)と次男(当時8歳)と三男(当時5歳)及び隣の部屋にいた祖母(当時87歳)は無事で、朝に起きて殺人に気づいたという。
1950年2月23日、警察は近所の住人である少年(当時18歳)を犯行当時の所在が不明であるという、犯行の証明にならない推測を理由にして本件殺人の被疑者と推測し、窃盗被疑事件で別件逮捕した。警察は自白の強要と拷問を行って、少年が四人を殺害したとの虚偽の供述調書を作成し、その旨を報道機関に公表した。なお、この供述調書において、殺害現場で23時に止まっていた柱時計から犯行時間が23時の場合はアリバイがあったが、警察は少年が推理小説マニアであり、止まった時計の針を回してアリバイを作る偽装工作が出てくる江戸川乱歩の「パレットナイフの殺人」を読んでおり、近くで当該作品の映画が上映されていることなどの傍証を積み上げてアリバイを否定した。1950年3月12日、検察は少年を強盗殺人の罪で起訴した。
少年を尋問した紅林麻雄警部補拷問による尋問、自白の強要によって得られた供述調書の作成を以前から行っており、幸浦事件小島事件冤罪事件を発生させている。
本事件を捜査していた山崎兵八刑事は新聞社に対して、紅林麻雄警部補の拷問による尋問、自白の強要、自己の先入観に合致させた供述調書の捏造を告発した。法廷では弁護側証人として本件の紅林麻雄警部補の拷問による尋問、自白の強要、自己の先入観に合致させた供述調書の捏造、および、紅林麻雄警部補が前記のような捜査方法の常習者であり、県警の組織自体が拷問による自白強要を容認または放置する傾向があると証言した。県警は拷問を告発した山崎刑事を偽証罪で逮捕し、検察は精神鑑定で「妄想性痴呆症」の結果が出たことにより山崎刑事を不起訴処分にして、警察は山崎刑事を懲戒免職処分にした(なお、山崎刑事の自宅は後日不審火で焼失。小6の次女と小3の次男は「長靴の男が入るのを目撃した直後に火が出た」と証言したが、警察は次男を補導して犯人扱いし尋問した。火をつけたことが立証されなかったため次男の身柄は解放されたが、この不審火については未解決となった)。
少年の無実の根拠、検察が主張する証拠の不証明は下記のとおりである。
*被害者宅の破損した時計に付着していた、被害者の血痕が付いた犯人のものと推測される指紋は少年の指紋と合致しない。
*少年の着衣・所持している衣服・その他の所持品から、被害者一家の血痕は検出されていない。
*少年の足・靴のサイズは24cmであり、被害者宅の建物周辺で検出された、被害者一家の靴と合致せず犯人の靴跡と推測される27cmの靴跡痕とも合致しない。
*被害者一家の殺害に使用された鋭利な刃物を少年が入手した証明が無い。
*司法解剖の結果、四人の死亡推定時刻はいずれも23時前後であり(検察が主張する犯行時刻は21時)、少年はその時刻には被害者宅とは別の場所に所在していたことを複数の第三者が証言している。
==裁判の経過・結果==
裁判で少年は、捜査段階で警察官に拷問され、虚偽の供述をさせられたが、自分はこの事件にいかなる関与もしていない、無実であると主張した。裁判は下記のとおりの経過・結果になった。
*1950年12月27日静岡地方裁判所は少年に死刑判決をした。少年側は無実・無罪を主張して控訴。
*1951年9月29日東京高等裁判所は控訴を棄却した。少年は無実・無罪を主張して上告。清瀬一郎が弁護人に。
*1953年11月27日最高裁判所は原判決を破棄。
*1956年9月20日、静岡地裁は無罪判決をした。検察は控訴。
*1957年10月26日、東京高裁は控訴を棄却。検察は上告を断念し、元少年の無罪が確定した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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