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中道瞳 : ミニ英和和英辞書
中道瞳[なかみち ひとみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中道 : [ちゅうどう]
 【名詞】 1. the middle road 2. middle of the road 3. mean 4. moderation 
: [ひとみ]
 【名詞】 1. (1) pupil (of eye) 2. (2) eye 

中道瞳 : ウィキペディア日本語版
中道瞳[なかみち ひとみ]

中道 瞳(なかみち ひとみ、女性、1985年9月18日 - )は、日本の元バレーボール選手。元全日本で、ロンドンオリンピック銅メダリスト。ニックネームはミチプレミアリーグ東レ・アローズに所属していた。
== 来歴 ==
京都府城陽市出身。母がソフトボール選手というスポーツ一家で三姉妹の末妹として生まれる。友達に誘われて小学校2年生よりバレーボールを始め、小学5年次からセッターに転向。6年次には「ライオンカップ」(現ファミリーマートカップ全国小学生大会)で3位入賞に貢献〔準決勝では後にチームメートとなる大山未希(ひまわりクラブ)と対戦し敗れている。〕。
練習に訪れた京都橘高校でバレーボールの質の高さに驚き、同校の三輪欣之監督に入部の意志を伝えると「中学時代によい戦績を残すように」とアドバイスを受ける。中学は地元の中学校に入学するが活躍の場が得られず、伝手を頼って甲良町立甲良中学校にバレーボール留学する。中学3年次には、アクエリアスカップ(現全国都道府県対抗中学バレーボール大会)出場、近畿大会上位進出などの戦績を果たす。
念願がかない京都橘高校に進学すると、2003年春高バレー(ベスト4)、NEW!!わかふじ国体では優勝を飾った〔決勝の対戦相手はまたも大山未希を擁する東京都(下北沢成徳高校)だった。〕。中道は高校時代を振り返り、「セッターとしてのゲームメイク、トスまわしなどを三輪監督に教わり非常に感謝している」と述懐している。
2004年、東レ・アローズに入団。同期に濱口華菜里大山未希がいる。2007年、正セッターを獲得し、2008年天皇杯・皇后杯全日本選手権優勝、2007-08プレミアリーグ初優勝(ベスト6賞獲得)の2冠に貢献した。
2008-09Vプレミアリーグで同チームの司令塔として牽引し、昨シーズンに続き2連覇を達成した。同シーズンと第58回黒鷲旗全日本男女選抜大会でベスト6を受賞した。2009-10Vプレミアリーグで女子史上初となる3連覇へ導き、2010日韓トップマッチ、第59回全日本男女選抜大会で3冠に輝いた。
2010年、全日本女子メンバーに追加登録され〔JVA公式サイト 〕、同年10-11月開催の世界選手権に出場し、銅メダル獲得に貢献した。
2011年、若手主体で挑んだモントルーバレーマスターズにて日本を初優勝へ導くと、自身もMVPを受賞した。同年11月のワールドカップに出場し、主にセット後半の2枚替えで起用される。また、平成23年度全日本バレーボール選手権、2011/12Vプレミアリーグで優勝した。
2012年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーに選出された。同年8月のロンドンオリンピック準々決勝対中国戦はフルセットの大熱戦となり、リリーフサーバーで登場した中道がサービスエースを決め、24年ぶりのベスト4進出に貢献した。
2013年度より、東レの主将を務める。ロンドン五輪後から両足のアキレス腱痛を抱えていたが、リハビリを経て世界選手権アジア最終予選後の9月下旬に、全日本チームに合流した。
2015年5月29日、現役引退が発表された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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