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中西悟堂 : ミニ英和和英辞書
中西悟堂[なかにし ごどう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 

中西悟堂 : ウィキペディア日本語版
中西悟堂[なかにし ごどう]

中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年明治28年)11月16日 - 1984年昭和59年)12月11日)は、野鳥研究家で歌人詩人文化功労者天台宗僧侶日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。
「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こした。「野鳥」や「探鳥」は悟堂の造語。
== 生涯 ==

=== 幼少・青年期 ===
1895年(明治28年)、石川県金沢市の長町に生まれ、富嗣と命名される。祖父は加賀藩士〔井口哲郎、日本ペンクラブ、Jan. 23, 2002〕。父親は海軍軍楽隊教官だったが、悟堂の生後まもなく病死し、母は実家に帰ったまま行方不明となり、父の兄である伯父・悟玄の養子となる〔。
1900年、5歳で麻生区飯倉町の小暮小学校に入学〔(同小学校は江戸時代の寺子屋から続く伝統ある私立校〔創立80年の小学校 新聞集成明治編年史第十三卷、林泉社、1936-1940〕)。
1907年(明治40年)、養父と祖母とともに神代村(現在の東京都調布市)の祇園寺に移住。
1911年(明治44年)、天台宗深大寺にて僧籍につく。悟堂はこの時の法名。翌年、天台宗学林(後の大正大学)2年に入る。この頃より短歌を始め、次第に詩人と交わるようになり、その関心は短歌から詩へ移る。
その後、曹洞宗学林(後の駒澤大学)にも通い、放浪したり僧務をこなしつつ詩壇に入り、1922年(大正11年)、第一詩集『東京市』を出版。その後詩集『花順礼』、『武蔵野』を出版。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中西悟堂」の詳細全文を読む




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