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中条将監 : ミニ英和和英辞書
中条将監[なかじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [しょう]
 【名詞】 1. commander 2. general 3. leader 

中条将監 ( リダイレクト:中条家忠 ) : ウィキペディア日本語版
中条家忠[ちゅうじょう いえただ]
中条 家忠(ちゅうじょう いえただ、生年不詳 - 天正5年8月30日1577年10月21日〔没年月日は正林寺過去帳による。〕))は、戦国時代の武将。織田信長の家臣。別名秀正。小一郎、左近将監と称す。三河国八草城・広見城主。一般には中条将監として知られる。
== 略歴 ==
出自不詳。奥州出身の中条飛騨守の嫡男説、尾張国春日井郡出身説、三河国加茂郡八草村(現豊田市八草町)出身説がある。衣城を本拠とした中条氏との関係も不明であり、区別するために「八草中条氏」と呼ばれることがある。
織田信長に早くから仕え、天文21年(1552年)8月の尾張下四郡守護代清洲城主の織田信友との戦い(萱津の戦い)で奮戦し、柴田勝家とともに敵方家老である坂井甚介を討ち取っている。
永禄12年(1569年)8月から始まった北畠氏の拠る伊勢大河内城攻めに一族の中条又兵衛とともに参加、翌元亀元年(1570年)6月の姉川の戦いに先立つ「八相山の退口」〔6月22日、信長が虎御前山から陣を移した際に浅井軍との間で生じた戦い。〕では、佐々成政簗田広正とともに殿軍を受け持ち、追撃する浅井軍と戦い、家忠・又兵衛ともに負傷している。この他、元亀元年(1570年)9月の志賀の陣、天正2年(1574年)の長島一向一揆攻め、天正5年(1577年)の雑賀攻めなどにも参加している。
天正5年(1577年)3月に秀興山正林寺(豊田市広幡町)を創建。また、戦火のため荒廃していた猿投神社の復興にも尽力した。同年8月30日に没し正林寺に葬られた。法名は徳翁浄勝大禅定門。
子は長男・弥十郎秀佳、次男・荘助(勝助)の二人がおり、信長の死後、織田信雄に仕えた。秀佳は朝鮮出兵で戦死、荘助は八草城陥落〔小牧・長久手の戦いの際のことと思われるが詳細不明。〕後、足助に逃れたという。天正6年(1578年)の猿投神社遷宮時に残された棟札によれば、「左近将監秀正」の子は「勝兵衛尉秀清」であるが、秀佳と秀清が同一人物かどうかは不明である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中条家忠」の詳細全文を読む




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