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中山績子 : ミニ英和和英辞書
中山績子[なかやま いさこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

中山績子 : ウィキペディア日本語版
中山績子[なかやま いさこ]
中山 績子(なかやま いさこ、寛政7年2月10日1795年3月30日) - 明治8年(1875年2月12日)は、江戸時代末期の女官権大納言中山愛親の娘。幼名は宗姫、初名は美禰、のち愛子。大典侍正三位。『中山績子日記』を著した。
== 経歴 ==
文化4年(1807年)、儲君恵仁親王(後の仁孝天皇)の上臈となり高松局と称し、名を愛子とする。文化14年(1817年)、仁孝天皇の即位に際して典侍となり、宰相典侍と称する。文政11年(1828年)、名を績子と改める。天保10年(1839年)、油小路誠子のあとを承け、大典侍となった。仁孝天皇、さらに孝明天皇の譲位後も御所に残留したが、慶応3年(1867年)大典侍を辞す。明治2年(1869年)に正三位に叙された。
明治8年(1875年)2月12日、81歳で薨去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中山績子」の詳細全文を読む




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