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中世盛期 : ミニ英和和英辞書
中世盛期[ちゅうせいせいき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中世 : [ちゅうせい]
  1. (n-adv,n-t) Middle Ages 2. mediaeval times 
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
盛期 : [せいき]
 (n) prosperous period
: [き]
  1. (n,n-suf) period 2. time

中世盛期 : ウィキペディア日本語版
中世盛期[ちゅうせいせいき]

中世において中世盛期(ちゅうせいせいき)〔John H. Mundy, Europe in the High Middle Ages, 1150-1309 Harlow, England, Longman (2000) ISBN 0-582-36987-8〕とは、ヨーロッパ史において11, 12, 13世紀を中心とする時代で、歴史上の時代区分としては中世前期の後、中世後期の前とされる。中世後期は1500年までには終了したと考えるのが慣例である〔In Pace, E. A. (1922). The Catholic encyclopedia: An international work of reference on the constitution, doctrine, discipline and history of the Catholic Church. New York: Encyclopedia Press. 501 〕〔Thomas, J. S. (1903). The Middle Ages〕〔Shahan, T. J. (1904). The middle ages, sketches and fragments. New York: Benziger Brothers〕〔Strayer, J. R. (1982). Dictionary of the Middle Ages. New York: Scribner〕。
ヨーロッパ史における中世盛期に顕著な傾向として、大幅な人口増が挙げられる。これによって、前時代からは政治的・経済的に大きな変化が生じた。1250年の大幅な人口増によって引き起こされた経済成長は、地域によっては19世紀までは二度と実現されなかったほど大幅なものであった。しかし、こうした人口増加は、中世後期になるとしばしば発生した災難ペストが有名だが、戦争や経済停滞も含まれる)によって抑制されることになった。
780年頃以降、西ヨーロッパでは民族移動時代が終わりをつげ、政治的・社会的な組織化が促進された。南欧で繁栄したイスラム系諸国は、ヨーロッパにおける科学と哲学の復興をもたらした。ボローニャ、サレルノ、パリ、モデーナには最初の大学が設立された。バイキング達はブリテン諸島やフランスをはじめ各地に定住したが、同時にキリスト教を国教としたノルド人達の諸王国は、故地であるスカンディナヴィアでも発展を続けた。マジャール人は10世紀頃に侵入を停止し、1000年頃までにはキリスト教国であるハンガリー王国として、地域の諸大国と同盟を結びつつ、中央ヨーロッパにおけるその地位を固めた。一過性に例外的事件としてモンゴルの征服はあったが、おおむね異民族の侵入はこの時代に終わったと言えよう。
11世紀になると、アルプス山脈の北方にいたゲルマン人達は新たな土地を求めて入植を始めたが、こうした植民地の中にはローマ帝国の滅亡後には荒れ地に戻っていた場所もある。ヨーロッパに残っていた広大な森林湿地はこの時代に開墾され耕作地となったが、この変化はグレート・クリアランスと呼ばれる。また、入植活動はフランク王国の旧来の国教線を越えて東方の未開地に及び、エルベ川を超えて東に拡張する過程でドイツ人の居住地は3倍に拡大した。依然として強力な指導力を保っていたカトリック教会は、聖地を占領したセルジューク・トルコに対する一連の十字軍遠征を全ヨーロッパに呼びかけ、それによりレバント十字軍国家を建国した。北方ではバルト海の植民地化が行われ、イベリア半島ではキリスト教諸国軍がムーア人レコンキスタによって駆逐し、ノルマン人は南イタリアに植民したが、こうした活動は全て、この時代に起きた人口の大幅な増加とその結果としての移住のパターンとして読み解くことが出来る。
中世盛期には、知的で精神的な芸術作品の分野に多くの様式が生まれた。また、この時代にはエスノセントリズムの萌芽が見られるが、これは後に近代ヨーロッパ諸国に見られた国民国家の思想につながるものである。イタリアでは諸々の都市国家が興隆し、イベリア半島ではアンダルスの勃興と没落があった。アリストテレスの著作群が再発見されたことは、トマス・アクィナスをはじめとする思想家がスコラ学を発展させるきっかけとなった。建築では、有名なゴシック大聖堂の多くの建設が、この時代に着工され、あるいは完成されている。中世盛期という時代区分は、中世後期の危機と呼ばれる14世紀に始まった相次ぐペストの流行や飢饉の発生よって区切られる。

==時代区分==

「中世盛期」という用語は、中世を三分割したうちの一つで、他の二つは、中世前期と中世後期である。レオナルド・ブルーニフィレンツェ人の歴史(1442年)で三分割した時代区分を初めて用いた歴史家であった〔Leonardo Bruni, James Hankins, ''History of the Florentine people'', Volume 1, Books 1–4, (2001), p. xvii.〕。フラビオ・ビオンドローマ帝国の悪化の歴史の数十年(1439年-1453年)で同様の枠組みを用いた。三分割はドイツの歴史家クリストフ・セラリウス古代、中世、新時代に分割した普遍的な歴史(1683年)を出版して一般化した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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