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下須崎詔一 : ミニ英和和英辞書
下須崎詔一[しもすざき しょういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [みさき]
 (n) cape (on coast)
: [みことのり]
 【名詞】 1. imperial decree 2. imperial edict 
: [いち]
  1. (num) one 

下須崎詔一 : ウィキペディア日本語版
下須崎詔一[しもすざき しょういち]

下須崎 詔一(しもすざき しょういち、1944年9月8日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手
== 来歴・人物 ==
鹿児島商業高校では1962年、3年生の時に中堅手として第44回高校野球選手権に出場を決めるが、練習中に足を骨折し欠場を余儀なくされる。チームは同期の左腕エース浜崎正人の好投もあり準々決勝に進出するが、木俣達彦林俊宏のいた中京商業高校に11-2で敗れた〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。他の高校同期に三塁手中原勝利、2年下のチームメートに控え投手の秋葉敬三がいる。
1963年西鉄ライオンズへ入団。1965年にはジュニアオールスターにも出場している。左打者の多い西鉄で貴重な右の代打として活躍、1968年には主に中堅手左翼手として43試合に先発出場を果たしている。その後も準レギュラーとして起用されるが、段々と出場機会が減り1971年限りで引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「下須崎詔一」の詳細全文を読む




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