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下村観山 : ミニ英和和英辞書
下村観山[しもむら かんざん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [かん]
  1. (n,n-suf) look 2. appearance 3. spectacle 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

下村観山 : ウィキペディア日本語版
下村観山[しもむら かんざん]

下村 観山(しもむら かんざん、1873年明治6年)4月10日 - 1930年昭和5年)5月10日)は、明治 - 昭和初期の日本画家。本名は晴三郎。
1873年(明治6年)、和歌山県和歌山市に生まれる。8歳のとき東京へ移住。最初狩野芳崖に、その没後は芳崖の親友である橋本雅邦に師事する。東京美術学校(現・東京藝術大学)を第一期生として卒業後、同校で教えていたが、1898年に岡倉覚三(天心)が野に下ったときに行動を共にし横山大観菱田春草とともに日本美術院の創設に参加した。
1906年、天心が日本美術院を茨城県北部の五浦海岸へ移した際、大観、春草、木村武山とともに同地へ移住し画業を深めた。1917年6月11日、帝室技芸員となる〔『官報』第1458号、大正6年6月12日。〕。
== 代表作品 ==

*「光明皇后」(1897)(宮内庁三の丸尚蔵館
*「修羅道」(1900)(東京国立博物館
*「鵜鴎図」(1901)(滋賀県立近代美術館
*「ダイオゼニス」(1903)(東京国立近代美術館
*「木の間の秋」(1907)(東京国立近代美術館) 
*「大原御幸」(1908)(東京国立近代美術館)
*「鵜図屏風」(1912)(東京国立博物館)
*「白狐」(びゃっこ)(1914)(東京国立博物館)
*「弱法師」(よろぼうし)(1915)(東京国立博物館)(重要文化財
*「春雨」(1916)(東京国立博物館)
*「楠公」(1921)(東京国立博物館)
*「景雲餘彩」(1922)(宮内庁三の丸尚蔵館)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「下村観山」の詳細全文を読む




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