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三田育種場競馬 : ミニ英和和英辞書
三田育種場競馬[みたいくしゅじょうけいば]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
育種 : [いくしゅ]
 (n,vs) (plant) breeding
: [たね, しゅ]
 【名詞】 1. (1) seed 2. pip 3. kind 4. variety 5. quality 6. tone 7. (2) material 8. matter 9. subject 10. theme 1 1. (news) copy 12. (3) cause 13. source 14. trick 15. secret 16. inside story 1
: [ば]
 【名詞】 1. place 2. field (physics) 
競馬 : [けいば]
 【名詞】 1. horse racing 
: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 

三田育種場競馬 : ウィキペディア日本語版
三田育種場競馬[みたいくしゅじょうけいば]
三田育種場競馬(みたいくしゅじょうけいば)は1877年(明治10年)から1890年(明治23年)ごろまで東京三田四国町(現在の住所では港区3丁目の大部分と競馬場の南側は芝5丁目NEC本社ビル敷地を含む一帯)にあった三田育種場内の競馬場で行われていた競馬。三田育種場競馬場は競馬場としては特異な形状の一周長さ1.1キロメートルのほぼ円形のコースを持つ競馬場で、当初は馬匹の改良を目的として農務局が競馬を行い、1880年(明治13年)からは興農競馬会社が社交の場を兼ねて多くの観衆を集めて洋式競馬を催した。馬券は発売されなかったものの、かわりに富くじ付き前売り入場券を発売したため一般の多くの観客が集まったが、1882年(明治15年)富くじが禁止されたため廃れていった。明治10年代から20年のかけての日本では横浜根岸競馬上野不忍池競馬と比べると規模は小さかったものの、天皇を含む多くの上流貴族が集う三田育種場競馬は華やかな祭典であった〔立川2008、71-86頁〕〔日本中央競馬会1967、24-31頁。〕。
==官営競馬時代==
江戸時代の三田四国町旧薩摩藩邸跡地に作られた三田育種場では農作物の改良・普及に加え牛馬の改良も行われ、馬術や打毬、馬市のほか馬の改良のための競馬も行われていた〔〔牛山1992、343-344頁。〕。競馬は1877年(明治10年)から1879年(明治12年)までは仮の馬場で行われたが、明治10年の開場の際に行われた最初の競馬では出走頭数も少なく、そのため内務卿大久保利通は陸軍に馬と騎手を参加させるように要請した。明治10年から12年までの競馬の賞金や観客についてなど詳細な記録はなく不明である〔日本中央競馬会1967、24-27頁。〕。
1879年(明治12年)12月には常設の馬場が完成し、完成記念で当時としては大掛かりな競馬が開催された。宮内省内務省勧農局、陸軍が参加し、戸山競馬根岸競馬で活躍していた馬や騎手が出走する。華族や政府高官も観覧し、陸軍楽隊が音楽を演奏する〔立川2008、71-72頁〕。勧農局の記録ではこの時から若干の賞金を出すようになったことが記されている〔日本中央競馬会1967、27頁。〕。
三田育種場で行われた常設馬場完成記念の競馬や興農競馬会社の競馬は洋式競馬だが、三田育種場では和鞍による古流の和式競馬も行われていた〔。團團珍聞は洋風化政策を推し進める政府の役人が三田では和式競馬を行っていることを皮肉る風刺記事を載せている〔日高1998、37頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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