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三好笑岩 : ミニ英和和英辞書
三好笑岩[みよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [いわ]
 【名詞】 1. rock 2. crag 

三好笑岩 ( リダイレクト:三好康長 ) : ウィキペディア日本語版
三好康長[みよし やすなが]

三好 康長(みよし やすなが)は、戦国時代武将三好長秀の子で元長の弟、康俊の父。別名に康慶。号は咲岩(しょうがん)で笑巌または笑岩とも表記される〔親交のあった津田宗及が記した茶会記録『宗及茶湯日記他会記』では咲岩の号または山城守の官位で度々茶会に参加している。一方、一次史料で他の号は確認されていない。〕。阿波岩倉城主、河内高屋城主。
== 経歴 ==

=== 三好政権 ===
三好氏の1人で、初めは甥に当たる本家当主・三好長慶の弟で阿波国主の三好実休に仕え、篠原自遁加地盛時と共に実休の家臣として活動した。永禄元年(1558年)に長慶が京都郊外で室町幕府13代将軍足利義輝細川晴元と対峙した際は実休ら四国勢の先鋒として畿内に上陸、永禄3年(1560年)の河内遠征でも実休の名代として長慶と対面、永禄5年(1562年)3月の久米田の戦い、同年5月の教興寺の戦いなどで活躍した。実休の死後は拠点を河内高屋城に移し、他の家臣団と協力して実休の遺児・三好長治を支えた一方、茶人としての活動も見られ、津田宗達宗及父子の茶会に度々出席している〔、、〕。
長慶の死後、三好宗家の家督は大甥に当たる三好義継(長慶の甥)が相続したが、三好三人衆松永久秀が敵対し、家中が割れると康長は三人衆に同調し、永禄9年(1566年)2月の上芝の戦いに参戦。5月に久秀が侵入したを三人衆と共に包囲した。しかし、翌永禄10年(1567年)2月に義継が突如三人衆の下から逃れて高屋城から脱出し、堺へ赴き久秀と手を結ぶと、康長と安見宗房も久秀側へと鞍替えしたが、永禄11年(1568年)2月には三人衆が担いだ14代将軍・足利義栄の将軍就任の祝賀会と考えられる大宴会に出席しており、その頃には義継の元を去っている。この宴会には、阿波三好家の大軍を率いる篠原長房も参加しており、三人衆は松永方の細川藤賢が守る大和信貴山城を落とすなど(信貴山城の戦い)、松永勢を追い込んでいた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三好康長」の詳細全文を読む




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