翻訳と辞書
Words near each other
・ 一堂零
・ 一堪りも無く
・ 一報
・ 一場
・ 一場事件
・ 一場千秋
・ 一場武平
・ 一場靖弘
・ 一場面
・ 一場麻美
一堺漁人
・ 一塁
・ 一塁に生きる
・ 一塁手
・ 一塁線
・ 一塊
・ 一塊り
・ 一塌糊塗BBS
・ 一塔両尊
・ 一塚古墳


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

一堺漁人 : ミニ英和和英辞書
一堺漁人[いち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いち]
  1. (num) one 
: [りょう, いさり]
 【名詞】 1. fishing 2. catch 
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

一堺漁人 ( リダイレクト:曾我廼家五郎 ) : ウィキペディア日本語版
曾我廼家五郎[そがのや ごろう]
曾我廼家 五郎(そがのや ごろう、本名:和田 久一1877年9月6日 - 1948年11月1日)は、日本喜劇役者喜劇作家
大阪府堺市岸和田市出身の二説あり。「笑って泣かせる」スタイルで舞台俳優として活躍する一方で、「幸助餅」「葉桜」「張子の虎」「へちまの花」など自選「36快笑」を含め1000余りの脚本を遺した。自称「泉州堺の産・一堺漁人」。
== 経歴 ==
1890年、13歳の時母とともに丁稚奉公に大阪に出る。2年後、歌舞伎俳優中村珊瑚郎の弟子となり中村珊之助として、翌年の1893年浪花座で初舞台を踏む。
1902年、大阪福井座中村時蔵(後の3代目中村歌六)の弟子の中村時代、のちの曾我廼家十郎と出会う。別年、曾我廼家一満とも出会う。
1903年、珊之助と時代を改め五郎と十郎を名乗る。
そして1904年、それまでのに飽き足らなくなった三人は師匠の下を飛び出し、新しい笑いを作るべく「曾我廼家兄弟劇」を一満、五郎、十郎の三人で伊丹・有岡座で旗揚げした。同年には堺・宿院の卯之日座と尼崎・桜井座で初めての興行を打ち成功。日露戦争をネタにした「無筆の号外」が大当たりした。しかし1913年芝居観の違いから、十郎と別れ五郎一座となる。以後再び「喜劇」の名を使うことはなかった。この頃渡欧し欧州の芝居・喜劇を学び、帰国後五郎劇を結成する。その後度々平民劇団、曾我廼家五郎劇、五郎劇と改名する。平民劇団時代は本名で演じていた。
1920年頃から社会劇に移行。1936年所得番付一位。1937年自らが選んだ脚本を、三十六歌仙にあやかり「36快笑」として天満天神に奉納する。1938年には両国国技館で横綱の土俵入りのお笑い芝居を演じた。喉頭癌で声が出なくなっても道頓堀中座の舞台に立ち続けた。
日本の近代喜劇の第一人者として、榎本健一古川ロッパら喜劇人の尊敬を集めた。特にロッパは、声の出なくなった五郎に、得意の声帯模写で代役を勤めたいと申し出た。
曾我廼家五郎八に没する直前、楽屋で脚本をしたためながら「五郎八よ、やっぱり芸人は舞台に出てナンボやなあ、楽屋にいてるモンと違うな」と呟いたという。
死後の1948年12月、中座で松竹新喜劇が結成された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「曾我廼家五郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.