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ヴィリー・ブラント : ミニ英和和英辞書
ヴィリー・ブラント[らん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ヴィリー・ブラント : ウィキペディア日本語版
ヴィリー・ブラント[らん]

ヴィリー・ブラントWilly Brandt1913年12月18日 - 1992年10月8日)は、ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の政治家。第4代連邦首相1969年-1974年)。ドイツ社会民主党 (SPD) 党首1964年 - 1987年)。リューベック出身。1971年ノーベル平和賞受賞。社会主義インターナショナル議長(1976年 - 1992年)を務めた。
== 経歴 ==

=== 初期の政治活動 ===
ブラントの本名はヘルベルト・エルンスト・カール・フラーム (Herbert Ernst Karl Frahm)といった 。1913年12月18日、リューベックで私生児として生まれ、のちに政治家になってから政敵にそのことを攻撃されたがブラントは一切ごまかそうとせずかえって周囲の評価を高めた。キリスト教会も私生児には冷たかった。近所のルター派教会は私生児であることを理由にして洗礼を授けることを拒んだため、母マルタ・フラームは1914年2月26日、息子を市内の離れた場所にある同じルター派のに連れて行き洗礼を受けさせている。育ての親でもある母方の祖父がドイツ社会民主党(SPD)党員で市議会議員選挙にも出馬した影響で、早くも10代前半から同党の地元機関誌に寄稿し、1930年に17歳でSPDに入党する。地元の実業学校に通って1932年にアビトゥーアに合格した。この間も地元機関紙に繰り返し寄稿し、その編集長であるユリウス・レーバーの影響を受けた。しかし少年時代から急進左派に属していたブラントは、1931年10月にレーバーやSPDと決別し、ドイツ社会主義労働者党(SAP)に入党した〔Willy Brandt joins the SAP at Bundeskanzler Willy Brandt Stiftung〕。レーバーの世話で受けるはずだったSPDの奨学金が受け取れなくなったため、ブラントは進学をあきらめて地元の造船所で働いた。
1933年のナチス政権樹立後にSAPが活動を禁止されたため、地下で反ナチス活動を展開した。SAP指導部の指示を受け、1934年にノルウェーに渡って党組織再建に従事する。またジャーナリストとしての活動の傍ら、歴史学を専攻した。当時の偽名“ヴィリー・ブラント”をのちの1947年に正式な通名とし、政治家としての名乗りに用い続けている。他にもブラントを追ってノルウェーに亡命してきた元恋人と結婚したノルウェー人から借りた「グンナー・ゴースラン」という偽名を使い、ドイツへの潜入(露見を防ぐためノルウェー語なまりのドイツ語を話した)やスペイン内戦の取材活動の際に用いていた。1938年、ナチスにより国籍を剥奪され、ノルウェー国籍を取得する。第二次世界大戦中の1940年にノルウェーがドイツ軍に占領されたとき捕虜になるが、正体がばれずにすぐ解放され、スウェーデンに亡命した。ここで亡命SAPと亡命SPDの再接近に努めた。この亡命先でユダヤ系オーストリア人ブルーノ・クライスキーと知り合うが、彼はのちにブラントと同時期にオーストリア首相を務め、終生の友となった。
終戦後の1945年、ノルウェー紙の記者としてドイツに帰国し、ニュルンベルク裁判を取材する。1946年に故郷リューベックでSPDの再建を知り、1948年にドイツ国籍を回復する。第二次世界大戦中に国外亡命していたという経歴も、のちに政敵に攻撃されることになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴィリー・ブラント」の詳細全文を読む




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