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ヴァーシリー・ヤロスラヴィッチ : ミニ英和和英辞書
ヴァーシリー・ヤロスラヴィッチ[らヴ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラヴ : [らヴ]
 【名詞】 1. love 2. (n) love

ヴァーシリー・ヤロスラヴィッチ ( リダイレクト:ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公) ) : ウィキペディア日本語版
ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公)[らヴ]

ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ1241年? - 1276年)は、コストロマー公を経てウラジーミル大公ヤロスラフ2世の末子で、アレクサンドル・ネフスキーヤロスラフ3世の弟に当たる(在位:1272年 - 1277年)。''、1241年? - 1276年)は、コストロマー公を経てウラジーミル大公ヤロスラフ2世の末子で、アレクサンドル・ネフスキーヤロスラフ3世の弟に当たる(在位:1272年 - 1277年)。
== 生涯 ==
1266年にコストロマーで結婚式を挙げる。1272年の冬、兄ヤロスラフ3世の死去に伴い、モンゴルより後継のウラジーミル大公に任じられる。その際、ノヴゴロドをも直接支配下におこうとしたが、こちらは甥のドミトリー・アレクサンドロヴィチの支配下に入った。但し、ヴァシーリーはタタール軍を率いてドミトリー及びノヴゴロドを攻撃し、恨みを晴らしている(1272年)。サライからの帰国後、1276年1月に嗣子無くして死去。このため、大公の位は兄アレクサンドルの息子であるドミトリー・アレクサンドロヴィチが継いだ。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ (ウラジーミル大公)」の詳細全文を読む




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