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ヴァルター・ラーテナウ : ミニ英和和英辞書
ヴァルター・ラーテナウ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヴァルター・ラーテナウ : ウィキペディア日本語版
ヴァルター・ラーテナウ[ちょうおん]

ヴァルター・ラーテナウWalther Rathenau, 1867年9月29日 - 1922年6月24日)は、ドイツ実業家政治家作家ヴァイマル共和国初期に外相を務め、ソビエト連邦ラパッロ条約を締結したが、極右テロ組織に暗殺された。
== 経歴 ==

=== 実業家・文筆家 ===
のちにAEG(「一般電気会社」)の共同設立者となるユダヤ人実業家エミール・ラーテナウの長男として、ベルリンに生まれる。弟と妹が一人ずついる。1886年からシュトラスブルク大学およびベルリン大学物理学哲学化学を学び、博士号を取得。1890年からはミュンヘン工科大学機械工学を学んだ。当初彼は父親の仕事を継ぐことを嫌って芸術家、軍人外交官への道を目指していたが、結局父親の仕事を受け継ぎ、1893年からAEG社によるビッターフェルトラインフェルデンでの工場設立を担当した。1899年からはベルリンの商社の経営に参画、1912年に同社の社長となる。AEG社監査役として1904年以降80社もの監査役を兼ねた。
ドイツ経済界で大きな役割を演じていたことは、彼がユダヤ系ドイツ人の有力経済人からなる「友愛協会」の会員に迎えられたことからも窺える。電機業界が不況を迎えた際はカルテル戦略で乗り切る手腕を見せ、1914年に第一次世界大戦が始まると、軍需物資供給組織の指導者として適役とみなされるようになる。1915年に父が死んだが、最高顧問だった彼はAEG社の後継会長には就任せず、父の共同経営者にその地位を譲り、特権と「AEG総裁」という肩書きのみを受けた。
こうした実業家としての反面、彼は資本主義物質主義万能の世の中に批判的な見解も持っており、文学によってそれを改善したいと考えていた。ジャーナリストのマクシミリアン・ハルデン(マックス・ハーデン)を支援してその週刊誌発行を助け、また同誌にたびたび寄稿した。最初の寄稿は1897年の「聞け、イスラエルよ」という論文で、近代のユダヤ人に対する異議申し立てだった。政治的にも倫理的にも、ヴィルヘルム2世時代のショーヴィニズムに反対の立場だった。友人である作家ゲアハルト・ハウプトマンを通じて作家のグループに加わり、「時事批判について」「精神の機構について」などの本を出版し、「精神の王国」と表現されるその理想主義的な世界観を表明した。またリベラルな市民の政治参加を目指し、自らもドイツ帝国の外交政策、特に植民地政策に影響を及ぼそうとした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴァルター・ラーテナウ」の詳細全文を読む




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