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ローラ・ブラニガン : ミニ英和和英辞書
ローラ・ブラニガン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ローラ・ブラニガン : ウィキペディア日本語版
ローラ・ブラニガン[ちょうおん]
ローラ・ブラニガンLaura Branigan1957年7月3日 - 2004年8月26日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルースター出身の女性歌手
== 略歴 ==
父ジェームスと母キャスリーンの間に生まれ、姉妹が2人、弟が1人いる。なお、祖母はオペラ歌手、母はラジオ局専属の歌手であった。高校時代に学校でミュージカルの主役を演じたことがきっかけで、卒業後はマンハッタンに移り住み、演劇学校(アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティックアーツ)に通い始める。当時、Meadowというバンドでボーカルを担当し、1973年にはアルバム『フレンドシップ』を発表している。1970年代後半、レナード・コーエンのヨーロッパツアーにバックボーカルの一員として参加したことを契機に、1979年アトランティック・レコードと契約し1982年、アルバム『グロリア』でデビュー。同アルバムからシングルカットされた『グロリア』、また1983年にはセカンドアルバムからのシングル『哀しみのソリテアー』が大ヒットする。1984年には彼女の最大のヒット作となるアルバム『セルフ・コントロール』が発表され、西ドイツ、アルゼンチンなど多くの国で第1位に輝く。同年4月、シングル曲『ラッキー・ワン』が第13回東京音楽祭にてグランプリを受賞した。また、シングルカットされたアルバムタイトル曲『セルフ・コントロール』のプロモーションビデオは、その過激な内容からアメリカのMTVで放送禁止とされた。(のちに解禁された。)硬質なビブラートのかかる5オクターブのパワフルな歌声と大柄な体格を生かしたダイナミックなステージアクションで人気を博し、世界各地をツアーしてコンサートを行ったが、特にラテン・アメリカ、南アフリカでの人気は絶大だった。また、もともとバーブラ・ストライザンドに憧れてミュージカルを志していたこともあり、映画やテレビドラマ等の出演作も多数ある。
1993年にアルバムを発表した後、と闘う夫の看病に時間を費やすため活動を減らし、1996年に夫が他界した後は数年間活動を休止した。ショーを時々開催するなどして徐々に活動を広げ、2001年からはレコーディングにも取り組み始めたが、同年6月にニューヨーク郊外の自宅で藤をつる作業中にハシゴから転落し両大腿骨を骨折し、本格的な復帰が遅れる。翌2002年に音楽活動を再開し、オフ・ブロードウェイでのミュージカル『Love、Janis』にジャニス・ジョプリン(の歌唱)役で出演したり、アルバムのレコーディングを進めたりしていたが、2004年8月26日自宅にて脳動脈瘤により死去。47歳であった。なお、親しい友人達の話によると、死の数日前から頭痛を訴えていたが、夫の死から医療への不信を抱いており医者にかかることを拒んでいたとのことである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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