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ローラン・イレール : ミニ英和和英辞書
ローラン・イレール[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ローラン・イレール : ウィキペディア日本語版
ローラン・イレール[らん]

ローラン・イレールLaurent Hilaire1962年11月8日 - )〔『オックスフォード バレエダンス辞典』55頁。〕〔『年鑑バレエ2002』155頁。〕は、フランスバレエダンサーバレエ指導者である。パリ・オペラ座バレエ団で1985年から2007年までエトワールを務め、クラシック・バレエの諸作品からコンテンポラリーに至る幅広いレパートリーを踊り、同じバレエ団のマニュエル・ルグリと人気を競った〔『バレエワンダーランド』39頁。〕〔『バレエ・ビデオ・ベスト66』54-55頁。〕〔ルグリと輝ける仲間たち(2004年)公演 NBS日本舞台芸術振興会ウェブサイト、2013年2月24日閲覧。〕。世界各国でゲスト・ダンサーとしての出演が多く、シルヴィ・ギエムアレッサンドラ・フェリノエラ・ポントワエヴァ・エフドキモワ森下洋子などと共演している〔〔。とりわけギエムとのパートナーシップで知られた〔〔〔『バレエ年鑑1995』88-91頁。〕。
== 経歴 ==
パリ出身〔。幼い頃は体操をやっていたが、両親が引っ越した先には体操クラブがなかったため、その代わりにダンスのレッスンを受けることになった〔『エトワール パリ・オペラ座の舞台裏』115頁。〕。そこで教師に素質を認められ、勧められて1975年にパリ・オペラ座バレエ学校に入学した〔。入学当時はクラスに女の子が20人いたのに対して、男の子は彼ただ1人のみだったという〔。
1980年、17歳で同校を卒業すると同時にパリ・オペラ座バレエ団に入団した〔〔『バレエ・ピープル101』24-25頁。〕。以後は順調に昇進し、翌年カドリーユ〔''Quadrille''。パリ・オペラ座バレエ団の階級では一番下となる。主にコール・ド・バレエを踊るダンサーが所属する。〕に昇格したのち、1982年にコリフェ〔''coryphée''。パリ・オペラ座バレエ団の階級では、カドリーユの上、スジェの下で主にコール・ド・バレエを踊るダンサーが所属するが、作品によってはソロに抜擢されることもある。〕、1983年にスジェ〔''sujet''。パリ・オペラ座バレエ団の階級では、コリフェの上で主にソロを踊るダンサーが所属する。作品によっては、主役級を任されることもある。「シュジェ」と表記される場合もある。〕〔エトワールとは コトバンク、2013年2月24日閲覧。〕に昇格した〔。同年、当時パリ・オペラ座バレエ団芸術監督を務めていたルドルフ・ヌレエフに抜擢されて『コッペリア』(ピエール・ラコット復元振付)で初主演を果たした〔。
1984年は、『真夏の夜の夢』(ジョン・ノイマイヤー振付)など3作品に主演した〔。この年には第1回パリ国際バレエコンクールに同僚のイザベル・ゲラン(:fr:Isabelle Guérin)をパートナーとして出場し、ともに銀賞を受賞している〔。1985年は『ジゼル』(メアリー・スキーピング版)、『ロメオとジュリエット』(ヌレエフ版)などに主演し、有望な若手ダンサーに贈られるカルポー賞を受賞した〔。同年、『白鳥の湖』(ヴラジーミル・ブルメイステル版)で主演し、ヌレエフによってプルミエ・ダンスール〔''premier danseur''。パリ・オペラ座バレエ団の階級では上から2番目にあたり、エトワールの下、スジェの上でソロや主役級を踊るダンサーが所属する。女性の場合は、プルミエール・ダンスーズ(''premi(e)re danseuse'')と表記する。〕〔を飛び越して11月2日にエトワールに任命された〔プルミエ・ダンスールを飛び越してのエトワール昇進は、他に2004年のマチュー・ガニオなどの例がある。〕〔。
イレールは長身で容姿に恵まれ、身体能力も秀でていた〔。クラシック・バレエの諸作品では優美さを体現し、コンテンポラリー作品では先鋭な身体表現を見せ、常に気迫のある舞台で称賛を受けた〔〔『鑑賞者のためのバレエ・ガイド』120頁。〕。演技力にも優れ、ヌレエフ振付の『くるみ割り人形』では不気味なドロッセルマイヤーと美しく凛々しい王子の2役をこなし、ローラン・プティ振付の『ノートルダム・ド・パリ』の悪役フロロを鋭く激しい動きで踊り演じて、フェビュス役のマニュエル・ルグリの柔らかく華やかな表現とは好対照で高い評価を受けた〔『バレエ・ビデオ・ベスト66』54-55頁。〕〔〔『バレエ・ビデオ・ベスト66』20-21頁。〕〔『改訂版バレエって、何?』25頁。〕。
ヌレエフは飛び級でのエトワール任命を始めとしてさまざまな作品でイレールを重用し、「ヌレエフ世代」を代表するダンサーとして知られた〔〔。ヌレエフが最後に振り付け、遺作となった全幕バレエ『ラ・バヤデール』(1992年)では主役のソロル(領主に仕える戦士)を初演した〔『バレエ・ビデオ・ベスト66』56-57頁。〕。このときのヒロイン、ニキヤ(神殿の舞姫=バヤデール)はイザベル・ゲラン、ガムザッティ(ニキヤの恋敵で領主の姫)はエリザベット・プラテルが踊り、これはヌレエフが最も望んでいたキャストであった〔。ヌレエフ作品の他にもモーリス・ベジャールイリ・キリアンウィリアム・フォーサイスなど現代バレエの巨匠とのコラボレーションも多く、1987年には当時パリ・オペラ座のエトワールだったシルヴィ・ギエムとともにフォーサイスの『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』(''In the Middle, Somewhat Elevated'')を初演している〔『バレエ101物語』20頁。〕〔『オックスフォード バレエダンス事典』132頁。〕〔『オックスフォード バレエダンス事典』55頁。〕。
ギエムの相手役としてたびたび共演し、彼女が1988年に突然パリ・オペラ座バレエ団を退団してロイヤル・バレエ団に移籍した後も、世界各地で共演した〔〔〔。ギエムとは『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』やベジャール振付の『春の祭典』、『エピソード』といった現代バレエ以外にも、『白鳥の湖』などのクラシック・バレエの名作でも共演するなど彼女からの信頼が厚く、イレールもギエムに愛着と尊敬の念を持っていた〔〔〔〔。アレッサンドラ・フェリ、ノエラ・ポントワ、エヴァ・エフドキモワ、森下洋子などとも世界各地で踊り、サポートの巧みさとパートナーへの行き届いた配慮を見せ、批評家と観客の両方から人気が高いダンサーであった〔〔〔〔アンケート結果発表 SWAN MAGAZINE ONLINE 平凡社ウェブサイト、2013年2月24日閲覧。〕。1998年には、芸術文化勲章シュヴァリエを受章し、2004年にはブノワ賞を受賞した〔〔Laurent Hilaire Benois de la Danse 2013年2月25日閲覧。〕。
2007年に定年を迎えてパリ・オペラ座バレエ団の舞台から去り、以後はとして後進の指導にあたることになった〔大村、70-73頁。〕〔速報!パリ・オペラ座バレエ団昇級試験2012 詳細 2012.11.15 Chacott webマガジン DANCE CUBE ニュース、 2013年2月24日閲覧。〕〔Organigramme,LA DIRECTION DE LA DANS 2013年2月24日閲覧。〕。これは現役ダンサーだったころに当時のパリ・オペラ座バレエ団芸術監督ブリジット・ルフェーヴル(:fr:Brigitte Lefèvre)から『ラ・バヤデール』の再演で踊るダンサーのパ・ド・ドゥの指導を依頼されたのがきっかけであった〔。イレール自身も現役時代のインタビューで、「人に何かを与えるということは、とても豊かなことだと思うのです」と語っていた〔。
イレールが踊る映像は、若いころから現役最後期のものまで多く残っている〔〔 2013年2月24日閲覧。〕。2000年に撮影されたニルス・タヴェルニエ監督の映画『エトワール』など、映画にも出演した〔〔ローラン・イレール - goo 映画 2013年2月24日閲覧。〕〔Laurent Hilaire Unifrance films 2013年2月24日閲覧。〕。イレールの娘は2人ともパリ・オペラ座バレエ学校に入学し、バレエダンサーへの道を歩んでいる〔〔オペラ座エトワールたちに相次ぎ二世誕生 2004.09.10 From Paris <パリ> - Dance Cube -チャコット webマガジン:ワールドレポート-世界のダンス最前線、2013年2月24日閲覧。〕。長女のジュリエット・イレールは、2008年にパリ・オペラ座バレエ団に入団した〔〔ビュリヨン、ル・リッシュ、アバニャートが踊ったプティの傑作『若者と死』 2010.11.10 From Paris <パリ> - Dance Cube -チャコットwebマガジン:ワールドレポート-世界のダンス最前線、2013年2月24日閲覧。〕〔山田マミのやっぱり、パリが好き ダンス・舞踊専門サイト(VIDEO Co.) 2013年2月24日閲覧。〕〔デュポン&ル・リッシュの別れとジルベール&マルティネズの鏡の秀逸なパ・ド・ドゥ 2009.06.10 From Paris <パリ> - Dance Cube -チャコット webマガジン:ワールドレポート-世界のダンス最前線、2013年2月24日閲覧。〕。
2014年5月29日、フランスの日刊紙「フィガロ」はイレールのパリ・オペラ座メートル・ド・バレエ及び芸術監督補佐退任を報じた〔パリ・オペラ座バレエ団、バンジャマン・ミルピエ次期バレエ監督、新体制固めへ動く 2014.06. 2 その他ニュース- Dance Cube -チャコット webマガジン、2014年10月5日閲覧。〕。後任にはメートル・ド・バレエのクロチルド・ヴァイエ(元パリ・オペラ座プルミエール・ダンスーズ)が就任した〔。なお、ヴァイエの後任メートル・ド・バレエには、2015年5月引退予定のエトワール、オーレリー・デュポンが引退後に就任することが決まっている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ローラン・イレール」の詳細全文を読む




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