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ロングアイランドの戦い : ミニ英和和英辞書
ロングアイランドの戦い[ろんぐあいらんどのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ロング : [ろんぐ]
  1. (adj,n) long 2. (adj,n) long
アイランド : [あいらんど]
 (n) island, (n) island
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ロングアイランドの戦い : ウィキペディア日本語版
ロングアイランドの戦い[ろんぐあいらんどのたたかい]

ロングアイランドの戦い(、別名ブルックリンの戦いまたはブルックリンハイツの戦い)は1776年8月22日から同年8月30日にかけて(会戦は8月27日)、現在のニューヨークブルックリンを主戦場にして戦われた、アメリカ独立戦争の主要な戦闘のひとつであり、この戦争の中では最大の会戦である。アメリカ独立宣言から1ヶ月余り後のことであり、独立国アメリカ合衆国の軍隊が戦った初めての戦闘となった。
ボストン包囲戦の後、1776年3月17日イギリス軍ボストンから追い出した大陸軍総指揮官のジョージ・ワシントン将軍は、当時マンハッタン島の南端部でしかなかったニューヨーク市を守るために軍を移動させた。ワシントンはそこに防御陣地を敷き、イギリス軍が攻撃してくるのを待った。7月、ウィリアム・ハウ将軍の指揮するイギリス軍はマンハッタンからは港を隔てて数マイル向こうのスタテン島に上陸し、そこで1ヵ月半の間緩りとニューヨーク湾の艦船から援軍を受け取り、総勢は32,000名になった。イギリス海軍がニューヨーク港への入り口を支配していたので、ワシントンは市を守る難しさを察知した。マンハッタンが最初の目標になると考え、自軍の主力をそこへ移動させた。
8月22日、イギリス軍はスタテン島からナローズを隔てるロングアイランドの西端に上陸した。そこはマンハッタン島に渡るためのイースト川から南10マイル (16 km) 以上離れた位置だった。イギリス軍は5日間待機した後、ブルックリンのグアナハイツにいた大陸軍の守備隊を攻撃した。しかし、ハウはアメリカ軍に知られぬままに主力を大陸軍の後方に移動させ、その側面を衝いた。大陸軍は恐慌に陥ったが、メリーランドの兵士250名が抵抗して部隊の大半が捕獲されるのを妨げることができた。部隊の他の者はブルックリンハイツで守る主力部隊の所へ逃げた。イギリス軍は包囲戦に備えて塹壕を掘ったが、ワシントンは29日から30日に掛けての夜に全軍をマンハッタン島に移動させ、しかも如何なる物資も1人の生命も失わなかった。このあとワシントンとその大陸軍は幾度か敗北してニューヨーク市から完全に追い出され、ニュージャージーを越えてペンシルベニアまでの退却を余儀なくされた。
イギリス軍はニューヨーク市を占領し、パリ条約の翌年(1784年)にイギリス軍が明け渡すまで、ニューヨーク市とロングアイランドの主要部分はイギリス軍の支配下となった。
== 会戦に至るまで ==

=== ボストンからニューヨークへ ===
1775年4月19日レキシントン・コンコードの戦い後、イギリス軍はボストン市で包囲された。1776年3月4日、大陸軍の指揮官ワシントンはボストンを見下ろすドーチェスター高地に大砲を据えさせた〔.〕。この大砲がボストン港のイギリス艦隊を脅かしていたので、イギリス軍の指揮官ハウはもはやボストン市を保持できないと悟った。2週間後の3月17日、ハウとその軍隊はボストン市を明け渡し、ノバスコシアハリファックスに向った〔.〕。
イギリス軍がボストンを放棄した後、ワシントンはニューヨーク市の戦略的重要さの故にイギリス軍がそこを攻撃してくるものと考え、ニューヨーク市に部隊を送り始めた〔.〕〔.〕。ワシントンも4月4日にボストンを出発した。その軍隊はロードアイランドからコネチカットを抜ける経路を採ったので、市民が外に出てきて喝采を送り、兵士達に食糧や飲み物を提供した〔.〕。4月5日、プロビデンスでパレードを行い、数多い市民がワシントンと軍隊を見るために出てきた。それから8日後の4月13日、ワシントンはニューヨーク市に到着した〔.〕。ワシントンはブロードウェイに作戦本部を置き、即座に行動を開始した。その前の2月に副指揮官のチャールズ・リーをニューヨークに派遣して市の守りを固めさせていた〔.〕。リーは3月に大陸会議が彼をサウスカロライナに派遣するまでニューヨーク市の守りを統制するために留まっていたが、その後の防衛準備はウィリアム・アレクサンダー将軍(スターリング卿)に任されていた〔。リーとスターリングは防衛準備のために割ける要員をあまり持っていなかったので、ワシントンが到着した時は、その工事の半分しか終わっていなかった〔.〕。リーは、もしイギリス軍が海上を支配した場合、ニューヨーク市を保持することが不可能と判断したので、イギリス軍がアメリカからどこの陣地でも奪おうとした時に大きな損失を出さざるをえないように守りを固めた〔。ブルックリンハイツに構築したスターリング砦と呼ぶ堡塁に沿って市の周辺にバリケードや方形堡が築かれた〔.〕。リーはニューヨーク市にいる間に部隊をロングアイランドに派遣してロイヤリストを一掃させた〔.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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