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ロビン・ヨーント : ミニ英和和英辞書
ロビン・ヨーント[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロビン・ヨーント : ウィキペディア日本語版
ロビン・ヨーント[ちょうおん]

ロビン・R・ヨーントRobin R. Yount, 1955年9月16日 - )は、MLBの元選手。ポジションは遊撃手外野手アメリカ合衆国イリノイ州ダンヴィル出身。
兄のラリー・ヨーントは元投手で、弟の代理人も務めた。
== 経歴 ==
MLBドラフトミルウォーキー・ブルワーズから1巡目(全体3位)に指名を受け入団。同年A-級で打率.285・3本塁打・25打点を記録。「メジャーに行っても守りは良いが、打つ方は駄目」という評価だったが〔伊東一雄「祝'99年の殿堂入り ロビン・ヨーント 転機を乗り越えエリートが歩んだ20シーズン」『月刊メジャー・リーグ』1999年3月号、ベースボールマガジン社、1999年、雑誌 08625-3、46、47項。〕、4月5日ボストン・レッドソックスとの開幕戦で18歳の若さでメジャーデビュー。107試合に出場し打率.250・3本塁打・26打点を記録した。は4月に打率.386を記録するなど前半戦は.289だったが、後半戦で.242と失速した。20歳の誕生日目前の9月14日のレッドソックス戦で、メル・オットが47年間保持していた10代での最多出場記録241を更新。は全試合出場ながら打率.252・2本塁打に終わる。は開幕に間に合わなかったが、9月6日トロント・ブルージェイズ戦でキャリア初の1試合2本塁打を記録するなど打率.293・9本塁打・71打点を記録。オフに突然プロゴルファー転向を宣言し、球団と対立して物議を醸すが〔、翌年のスプリングトレーニングには復帰した。
ウエイトトレーニングによりパワーが付き〔〔、は前半戦で打率.325・13本塁打を記録し、オールスターゲームに初選出される。シーズン通算で打率.293・23本塁打・87打点・10三塁打・121得点、リーグ最多の49二塁打を記録し、同年から制定されたシルバースラッガー賞を受賞した。は50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮された影響で96試合の出場に留まる。同年は前後期制の変則日程となり、チームは後期優勝。ニューヨーク・ヤンキースとのディビジョンシリーズでは打率.316を記録するが、チームは2勝3敗で敗退した。は前半戦で打率.327・15本塁打・57打点の成績で、2年ぶりにオールスターゲームに選出され、先発出場を果たした。チームはボルティモア・オリオールズと地区優勝を争い、最後の直接対決4連戦で1勝すれば優勝が決まるが、3連敗を喫して同率で並ばれる。10月3日のシーズン最終戦でジム・パーマーから2本塁打を放って勝利に貢献し、球団創設以来初の地区優勝を果たした〔。キャリアハイの打率.331・29本塁打・114打点・210安打、いずれもリーグトップの46二塁打・長打率.578・OPS.957・367塁打を記録。カリフォルニア・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.250、本塁打・打点は共に0だったが、チームは2連敗の後3連勝で初のリーグ優勝。セントルイス・カーディナルスとのワールドシリーズでは第1戦で4安打、第5戦でも本塁打を含む4安打を放つなど打率.414・6打点を記録するが、チームは3勝4敗で敗退。カーディナルスの監督ホワイティ・ハーゾグからは「現在のメジャーで3本の指に入る選手」と絶賛された〔。MVPの投票では1位票28票中27票を獲得して受賞し、2度目のシルバースラッガー賞、初のゴールドグラブ賞も獲得した。はリーグ最多の10三塁打を記録するが、打率.308・17本塁打・80打点と前年より全体的に成績を落とした。
肩を手術したためから外野手に転向。は4月に打率.408を記録するなど前半戦で打率.330。シーズン通算で打率.312ながら9本塁打と7年ぶりの1桁に終わった。はチームがメジャータイ記録の開幕13連勝。4月15日のオリオールズ戦でホワン・ニエベスが球団史上初のノーヒッターを達成した際には、9回2死からエディ・マレーの右中間へのライナー性の打球をダイビングキャッチして、快挙達成に貢献〔。打率.312・21本塁打・103打点・198安打と復活を果たした。6月12日シカゴ・ホワイトソックス戦でサイクルヒットを達成。全試合に出場し、打率.306・91打点、リーグ最多の11三塁打を記録した。7月2日ニューヨーク・ヤンキース戦で史上5番目の若さで通算2,500本安打を達成〔。後半戦で打率.339と調子を上げ、打率.318・21本塁打・103打点・195安打を記録し、2度目のMVPを外野手として受賞。異なるポジションでの受賞はハンク・グリーンバーグスタン・ミュージアルに次いで史上3人目〔。また1980年代に記録した1731安打はメジャー最多となった。11月13日フリーエージェントとなりエンゼルス入団が確実となったが、ファンから残留要望の手紙が殺到して翻意し、12月19日に再契約〔〔。
はキャリアワーストの打率.247と不本意な成績に終わる。9月9日クリーブランド・インディアンズ戦でホゼ・メサから二塁打を放ち、通算3,000安打を達成。36歳11ヶ月24日での達成はタイ・カッブハンク・アーロンに次いで史上3番目の若さだった〔。2月11日に現役引退を表明〔。ブルワーズ一筋で過ごした球団史上最高のフランチャイズ・プレイヤー〔であり、現在、通算試合数・打数・得点・安打・二塁打・三塁打・本塁打・打点・塁打・四球・三振の球団記録を全て保持している。
5月29日背番号『19』が球団の永久欠番に指定された。に資格初年度でノーラン・ライアンジョージ・ブレットと共にアメリカ野球殿堂入り。からまでアリゾナ・ダイヤモンドバックスでベースコーチ及びベンチコーチを務め、とには古巣ブルワーズでコーチを務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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