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ロバート・シルヴァーバーグ : ミニ英和和英辞書
ロバート・シルヴァーバーグ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロバート・シルヴァーバーグ : ウィキペディア日本語版
ロバート・シルヴァーバーグ[ちょうおん]

ロバート・シルヴァーバーグ(Robert Silverberg、1935年1月15日 - )はアメリカ合衆国作家SF作家)。18歳でデビュー以来、SF犯罪小説西部劇ジュブナイルノンフィクションなどの分野で多数の作品を書き小説工場とも呼ばれるが、1960年代後半からシリアスで野心的な傑作を発表しニュー・シルヴァーバーグと呼ばれるようになる。代表作に『夜の翼』『大地への下降』『禁じられた惑星』など。
== プロフィール ==
ニューヨークブルックリン区でユダヤ系の家庭に生まれる。コロンビア大学卒、英文学を専攻。在学中の1954年に短編''Gorgon Planet''でデビュー。1955年スコットランドのSF誌「ネビュラ」に処女長編『第四惑星の反乱』を発表。大学を卒業する頃には毎月数十編の作品をこなす売れっ子作家となり、1956年にはヒューゴー賞の最優秀新人賞を受賞。エンターテイメントに徹した作風を揶揄する意味も込めて小説工場と呼ばれ、1955年からの10年間で450冊の単行本を書いた。
1959年頃からSFブームが冷え込み、多くのペンネームでSF以外のジャンルの作品も書くようになる。この年に書いたジュブナイル小説『生きていた火星人』 がニューヨーク・タイムズの優良児童書100選に選ばれる。続いて1962年に書いた遺跡発掘についてのノンフィクション''Lost Cities and Vanished Civilizations''は、優良児童図書賞の候補、子供向けブッククラブの推薦図書となる。この成功により、特に歴史考古学関係のノンフィクション作家としても一流として認められるようになる。この時期にはSFはほとんど書かなかったが相変わらずの多作であり、SF作家のパーティーでの原稿が書けなくなった体験談として「あるとき15分ばかり書けなかったことがある」と話したというエピソードも残っている。
1963年にフレデリック・ポールが編集するSF雑誌「World of Tomorrow」誌に発表した短編「見えない男」は、人間の内面を深く考察した傑作となり、この当時のニュー・ウェーブ運動に触発された、文学性の高いSFを求める状況に受け入れられる。ただし自身はニュー・ウェーブからは距離を置き「前衛的な手法を取り入れようとは思わない」という立場だった。1966年に、長年の過労による甲状腺の機能亢進にかかり、仕事のペースを減らさなくてはならなくなる。この時期に書いた長編『いばらの旅路』は、ヒューゴー賞、ネビュラ賞の候補となる。1968年には自宅が火災にみまわれ、その後に書いた中編''NightWings''はヒューゴー賞中長編部門を受賞、続いて書かれた第二部、第三部と合わせて、自身が最も気に入っている作品という長編『夜の翼』となり、1976年にアポロ賞も受賞した。これ以降、執筆スピードは下がったものの、高水準の作品を発表し、ニュー・シルヴァーバーグと呼ばれるようになる。
しかし自信作であった''Son of Man''や『内死』が評価されなかったことなどにより、1975年にSFの執筆から引退を宣言する。同じ年にはハーラン・エリスンバリイ・N・マルツバーグも引退を宣言し、SF界に衝撃をもたらした。しかしシルヴァーバーグは、1980年に大作『ヴァレンタイン卿の城』を発表して復活、マジプール年代記としてシリーズ化されている。1990年代にはアイザック・アシモフ作品の長編版の発表などもしている。
1975年にジェイムズ・ティプトリー・Jr.の短編集『愛はさだめ、さだめは死』に序文「ティプトリーとはだれ、はたまた何者?」を寄せ、ティプトリーが女性ではないかという説に対して男性説を強力に主張した。しかし翌年にティプトリーが女性であることが明らかにされ、教訓を得たことを1978年版で追記している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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