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ロバート・グレーヴス : ミニ英和和英辞書
ロバート・グレーヴス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロバート・グレーヴス : ウィキペディア日本語版
ロバート・グレーヴス[ちょうおん]
ロバート・グレーヴス(Robert von Ranke Graves, 1895年7月24日 - 1985年12月7日)は、イギリス詩人小説家評論家グレーヴズグレイヴズ表記もある。
父アルフレッドはダブリン生まれのアングロ=アイリッシュ系の詩人で、数学者であると同時にオガム文字の権威でもあった。フォン・ランケはドイツ牧師をしていた母方の姓であり、叔父に歴史家のレオポルト・フォン・ランケがいる。
== 経歴 ==

*ロンドン南西の郊外ウィンブルドン生まれ。ロンドンのチャーターハウス・スクールに入学。このころからサークルに入って詩作を始めた。
*1914年、チャーターハウス・スクール卒業。オックスフォード大学のへの入学が決まっていたが、イギリスがドイツに宣戦布告したその2日後に従軍志願してフランスに出征する。グレーヴスの自叙伝『さらば古きものよ』によれば、大学に入るのを先延ばししたかったのと、ドイツがベルギーの中立を犯したことに憤ったのが動機だという。
*1915年、戦場でと親交を結ぶ。
*1916年7月20日、砲弾の破片を受けて重傷を負う。イギリスの留守宅には戦友から「名誉ある戦死」と報告されたが一命を取り留め、帰国して静養する。
*1917年1月、自ら望んで戦場復帰する。しかしまた倒れて本国へ送還され、後方勤務となる。この年の夏から冬にかけて、との恋愛が発展する。
*1918年1月、ナンシー・ニコルソンと結婚する。このとき22歳。同年11月、第一次世界大戦が終わると、サスーンとともに反戦詩人として活動を始め、この2人にロバート・ニコルズを加えて「新しい三銃士」と呼ばれる。
*1919年10月、オックスフォード大学に入学、1926年に卒業するまでの7年間に12冊の詩集、5冊の詩論を発表する。また、在学中にエドマンド・ブランデンT・E・ロレンスと知り合う。
*1926年、アーノルド・ベネットやロレンスの推薦を得てカイロ大学英文学教授となり、カイロに赴任する。
*1927年、カイロ大学を辞任して帰国する。このころには妻ナンシーとの関係が悪化していた。
*1929年5月、ナンシー・ニコルソンと離婚。二度とイギリスに戻らない覚悟で地中海西部のマヨルカ島に移住する。この地でアメリカの女流詩人ローラ・ライディングと親交を結び、共同で出版業を経営したり、共著を発表する。
*1936年、スペイン内戦の影響により、イギリス人のマヨルカ島退去を命じられ、3年間ヨーロッパとアメリカを放浪する。
*1939年、第二次世界大戦が勃発すると、イギリスに帰国して歩兵部隊に志願するが、軍当局からは後方勤務を命じられる。戦後、再びマヨルカ島に戻り、永住する。グレーヴスの詩が認められ始めたのは、このころからである。
*1954年、王立人類学協会の特別会員に選ばれ、1955年まで2年間、ケンブリッジ大学で詩を講義する。
*1961年2月、オックスフォード大学の詩学教授となる(1966年まで)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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