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レオ・スターン : ミニ英和和英辞書
レオ・スターン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

レオ・スターン : ウィキペディア日本語版
レオ・スターン[ちょうおん]

レオ・スターン''Leo Stern'',
*1862年4月5日 – †1904年9月10日)はイングランドチェリスト1896年にソリストとして、アントニン・ドヴォルジャークの《チェロ協奏曲ロ短調》作品104をロンドンで世界初演した。'Leo Stern'',
*1862年4月5日 – †1904年9月10日)はイングランドチェリスト1896年にソリストとして、アントニン・ドヴォルジャークの《チェロ協奏曲ロ短調》作品104をロンドンで世界初演した。',
*1862年4月5日 – †1904年9月10日)はイングランドチェリスト1896年にソリストとして、アントニン・ドヴォルジャークの《チェロ協奏曲ロ短調》作品104をロンドンで世界初演した。
== 略歴 ==
ブライトンにおいて音楽家の家庭に生まれ、本名はレオポルド・ローレンス・スターン(''Leopold Lawrence Stern'')といった。ドイツ出身の父親はブライトン交響協会のヴァイオリニスト兼指揮者であり、イングランド人の母親はピアニストであった。
当初はサウスケンジントン大学理学部化学を学ぶかたわら、フーゴー・ダウベルトチェロの個人指導を受けていた。実業家として1880年から1883年までグラスゴー近郊のソーンリーバンクに勤めるが、結局は化学を投げ出して王立音楽院に入学し、チェロをさしあたってアレッサンドロ・ペッツェに、次いでカルロ・アルフレード・ピアッティに師事した〔Robin Stowell, The Cambridge Companion to the Cello 〕。その後はライプツィヒユリウス・クレンゲルカルル・ダヴィドフの指導も受けた〔Markevitch, Seder, Cello Story 〕〔Cello,ord: Karl Davidov 〕。
その後アデリーナ・パッティエミール・ソーレイグナツィ・ヤン・パデレフスキなどと演奏旅行を行い、パリではジュール・マスネバンジャマン・ゴダールフランシス・トメらと演奏した〔。ヴィクトリア女王の贔屓の音楽家になり、ウィンザー城バルモラル城オズボーン家でしばしば御前演奏を行なった〔New York Times, Obituary, 12 September 1904 〕。
1895年プラハを訪問する。同地でスターンの演奏ぶりはアントニン・ドヴォルジャークの熟知するところなった。ドヴォルジャークは完成したての《チェロ協奏曲ロ短調》をハヌシュ・ヴィハーンに献呈していて、ヴィハーン以外の誰にも初演をしてほしくはないと望んでいた〔Music 33 〕にもかかわらず、譜面をめぐってヴィハンとの間で軋轢が生じていたために、初演の名誉はスターンに明け渡されることとなった。《チェロ協奏曲ロ短調》の世界初演は1896年3月19日にドヴォルジャーク自身の指揮によってロンドンクィーンズ・ホールにおいて行われた。それから3週間後のプラハ初演も作曲者本人の指揮とスターンの独奏で行われ〔The Kennedy Center 〕、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団〔やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とも共演を果たした(ちなみにスターンは、ライプツィヒに招待されてゲヴァントハウス管弦楽団に客演した最初のイギリス人演奏家である)。その後ポツダムに召喚されて、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世のために御前演奏を行なった〔。1897年から1898年までアメリカ合衆国カナダに演奏旅行を行ない、シカゴセオドア・トマスのオーケストラや、ボストン交響楽団ニューヨーク・フィルハーモニー協会と共演した〔。ニューヨークでは、1897年3月5日にドヴォルジャークの《チェロ協奏曲ロ短調》の米国初演を行なっている〔New York Times, 6 March 1897 〕。
1904年にロンドンにて、42歳の若さで他界した。
王立音楽院では現在、チェロ科にレオ・スターン賞(Leo Stern Award)が設立されている〔Jonathan Kitchen 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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