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ルードウィッヒ・グットマン : ミニ英和和英辞書
ルードウィッヒ・グットマン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ルードウィッヒ・グットマン ( リダイレクト:ルートヴィヒ・グットマン ) : ウィキペディア日本語版
ルートヴィヒ・グットマン[ちょうおん]
ルートヴィヒ・グットマンLudwig Guttman, 1899年7月3日 - 1980年3月18日)は、ドイツ国(当時)〔グリヴィツェ郡トセク。シレジア地方と呼ばれていた地域で第二次世界大戦後はポーランド領となった。〕出身のユダヤ系神経学者で、「パラリンピックの父」とされる。
== 経歴 ==
ヴロツワフのユダヤ病院で医師をしていたが、1939年、ナチスによる反ユダヤ主義が台頭したドイツを離れ、イギリスに亡命した。1944年、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センターの所長に就任、1966年まで勤務した。
第二次世界大戦における戦闘で障害を持つことになった傷痍軍人たちの治療を通じて、その身体的・精神的なリハビリテーションスポーツが最適であると考えたグットマンは、1948年、入院患者を対象としたストーク・マンデビル競技大会を始めた。この競技会はその後国際大会として開催されるようになり、参加者数も増えて規模が拡大し、1960年に同年のオリンピックと同じイタリアローマで開催された国際ストーク・マンデビル車椅子競技大会が、のちにパラリンピックの第1回大会、ローマパラリンピックと見なされることとなった。傷痍軍人たちを治療している頃に「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」という言葉をかけている。グットマンはイギリス障害者スポーツ協会の設立者でもあり、大英帝国勲章も授与された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルートヴィヒ・グットマン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ludwig Guttmann 」があります。




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