翻訳と辞書
Words near each other
・ ルワンダ内戦
・ ルワンダ国王
・ ルワンダ国立大学
・ ルワンダ国際刑事法廷
・ ルワンダ国際刑事裁判所
・ ルワンダ国際戦犯法廷
・ ルワンダ大統領
・ ルワンダ大統領機撃墜事件
・ ルワンダ大虐殺
・ ルワンダ愛国戦線
ルワンダ王
・ ルワンダ王国
・ ルワンダ社会党
・ ルワンダ紛争
・ ルワンダ航空
・ ルワンダ虐殺
・ ルワンダ虐殺における初期の出来事
・ ルワンダ解放民主軍
・ ルワンダ語
・ ルワン・ウィチット


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ルワンダ王 ( リダイレクト:ルワンダ王国#歴代国王 ) : ウィキペディア日本語版
ルワンダ王国[るわんだおうこく]

ルワンダ王国中部アフリカの国家。現在のルワンダに一致する領域を支配していた。王家は11世紀から継続しているとの伝承がある。
== 歴史 ==
ルワンダ王家は伝承上1350年頃から始まったとされ、3代目のニギィニャ朝時代に後のルワンダの領域が欧米諸国の侵略を受けた。ムワミは少数派の牛牧民トゥチのパトロン・クライアント関係の頂点にあり、ムハジ湖周辺から徐々に支配を広げた〔武内進一「資料:1960年代のコンゴ東部反乱とルワンダ系住民」『アジア・アフリカの武力紛争』アジア経済研究所、2001年。〕が、周辺部は農耕民フトゥの支配が維持されていた。第一次世界大戦終結まではドイツ領東アフリカとして植民地支配を受け、ドイツの敗戦後はルアンダ=ウルンディとしてベルギーの支配下に置かれた。この間に、ドイツ軍やベルギー軍の武力によりツチの王権・首長制が強化され、「ハム仮説」によりツチとフツの「人種」的分離とツチによる間接支配体制が構築された。
1959年、国王(ムワミムタラ3世がベルギー当局によるワクチン接種後に不可解な死を遂げ、弟のジャン=バティスト・ンダヒンドゥルワがキゲリ5世として即位。これに伴い、ツチ人とベルギー当局の関係は急速に悪化する。同年、フツ人の大規模な反乱(万聖節の騒乱)が発生し、ベルギー軍は軍政を施行した。。
1961年キゲリ5世キンシャサにて開催される国際連合事務総長ダグ・ハマーショルドとの会談へ外遊中、ベルギーの支援を受けたドミニク・ムボニュムトゥワクーデターを起こし、王政存廃に関する国民投票を実施する。その結果、キゲリ5世は廃位され、共和制国家の樹立が決定された。
1962年、ルワンダ共和国として完全に独立するが、政情不安が後のジェノサイドルワンダ内戦)に繋がることとなる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルワンダ王国」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kingdom of Rwanda 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.