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ルイ=オヴィド・ブリュネ : ウィキペディア日本語版
ルイ=オヴィド・ブリュネ

ルイ=オヴィド・ブリュネ(Louis-Ovide Brunet、1826年3月10日 - 1876年10月2日)は、フランス系カナダ人植物学者カトリック神父である。カナダの植物学の創始者の一人である。
==生涯==
ケベックに生まれた。父親は商人であった。ケベック神学校(Séminaire de Québec)で学び、1848年10月に叙階された。その後、10年間、宣教師、助任司祭教区司祭として働いた。恩師のEdward John Horanが退職した後、1852年にラヴァル大学になった母校の自然科学の教師に任命された。鉱物学者のトーマス・ステリー・ハント(Thomas Sterry Hunt)が退職した後、博物学教授となった。専門の植物学はオンタリオ州ケベック州の野外調査や2年間にわたってヨーロッパに滞在し、ソルボンヌ大学パリ植物園パリ自然史博物館で講義を受けることによって学んだ。アメリカの植物学者、エイサ・グレイと知り合い、カナダの植物相の調査を勧められ、1860年から総括的な著作を始め、582ページを超える草稿が作られたが、1862年にレオン・プロヴァンシェが『カナダの植物』("''Flore canadienne''")を出版したことなどから出版されることはなかった。1870年に『植物学と植物生理学の基礎』("''Éléments de botanique et de physiologie végétale, suivis d’une petite flore simple et facile pour aider à découvrir les noms des plantes les plus communes au Canada''")を出版した。この出版から程なくして健康を害し、44歳で引退した。ブリュネが没したとき10,000を越える標本が整理分類されて残された。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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