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リーナ・ホーン : ミニ英和和英辞書
リーナ・ホーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リーナ・ホーン ( リダイレクト:レナ・ホーン ) : ウィキペディア日本語版
レナ・ホーン[ちょうおん]

レナ・ホーンLena Horne, 本名:Lena Mary Calhoun Horne, 1917年6月30日 - 2010年5月9日)は、アメリカ合衆国ジャズ歌手、俳優。日本ではリナ・ホーンという表記も見られる。広範囲に、そして自主的にジャズ・アーティスト(アーティ・ショウテディ・ウィルソンデューク・エリントン、チャーリー・バーネットら)と共演した。亡くなるまでニューヨークに在住、2000年以降は公の場に姿を現していなかった。19世紀の政治家ジョン・カルフーンを先祖に持つ。
==概要==
ブルックリンで生まれた。父エドウィンは彼女が3歳の時蒸発、母エドナはアフリカン・アメリカン・シアターの女優で、レナは母方の祖父母によって育てられた。1933年にコットン・クラブの舞台に立つ。その後ジャズ楽団との地方演奏旅行などで名前と顔が売れ、1938年にミュージカル映画『The Duke is Tops』で、美人ジャズ歌手としてデビュー。
その後MGMへ移り、1943年には舞台『Panama Hattie』で歌った曲『Stormy Weather』がヒットした。MGMでは数々の映画に出演するが、アフリカ系アメリカ人女性が主役を演じることが許されなかった時代背景から、限られた役しか与えられなかった。彼女の実父は白人とのハーフであったため、レナ自身は『アフリカ系アメリカ人にしては色が白い』と見なされ、役のために顔を黒くドーランで塗られることもあったという。実際、彼女は映画の宣伝文句にSepia(褐色)という言葉が付けられていたのだった。白人に従属しなくてはならないアフリカ系市民としての現状に彼女は憤りを感じ、カメラに笑顔を向けることは『人種差別をする白人社会へ迎合するようだ』として嫌うようになった。そのためについたニックネームが、アイス・ビューティー(Ice Beauty、氷のような美女)であった。1951年の映画『ショウ・ボート』では、主役のアフリカ系女性の役に内定していながら、アフリカ系女性と白人男性の恋愛映画を是認する時代でなかったために、役をエヴァ・ガードナーへ替えられてしまった。
レナは第二次世界大戦中の慰問活動の際、白人兵士がステージ前、その後ろに捕虜となったドイツ人兵士、有色人種兵士が最も後方という配置になっていることに憤って公演を拒否したことがあった。後には公民権運動に参加するほど政治意識が高く、エレノア・ルーズベルトとともに反リンチ法案可決のため運動した。1950年代に入ってからハリウッドを去り、ナイトクラブでの歌手活動に力を入れるようになる。ポール・ロブソンと共演するなど、その政治的姿勢が問題視されてブラックリストに載り、アメリカ国内での活動が困難となると、1947年に結婚した2度目の夫でユダヤ系アメリカ人のジャズ・アーティスト、レニー・ヘイトンとともにフランスへ渡って歌手活動を続けた。異人種間結婚として2人は世間からの圧力を受け続けるが、ヘイトンの1971年の死まで連れ添った。
その後、ブロードウェイ・ミュージカルで舞台に立つなどして、アメリカでの活動に徐々に復帰。1969年の映画『ガンファイターの最後』でクレア・クィンタナ役を、1978年のテレビ映画『ウィズ』でグリンダ役を演じて若いファンを獲得し、1994年のメトロ・ゴールドウィン・メイヤーの回顧録映画『ザッツ・エンターテインメントIII』で司会者の1人となった。1958年にはトニー賞の最優秀ミュージカル女優賞にノミネートされた。1970年代後半には、ブロードウェイでワン・ウーマン・ショーを成功させた。1981年、グラミー賞最優秀ポップス・パフォーマンス賞を獲得(アルバム''The Lady and Her Music'')。1989年、グラミー賞の功労賞を獲得。1995年、アルバム''An Evening with Lena Horne''でグラミー賞最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞を受賞。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「レナ・ホーン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lena Horne 」があります。




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