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リンジー・バッキンガム : ミニ英和和英辞書
リンジー・バッキンガム[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リンジー・バッキンガム : ウィキペディア日本語版
リンジー・バッキンガム[ちょうおん]

リンジー・バッキンガム(Lindsey Buckingham、リンジィ・バッキンガムという表記もあり、1949年10月3日 - )は、シンガーソングライターギタリスト音楽プロデューサーである。フリートウッド・マックのギタリストとして良く知られ、バンドに在籍すると共に、4つのソロ・スタジオアルバムとライブアルバムをリリース。1998年にはマックのメンバーとしてロックの殿堂入りを果たす。写真家のクリスティン・メスナーと結婚、3人の子供がいる。
ローリング・ストーン誌の2007年11月号の企画、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト」において第7位。
2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第100位。
== 経歴 ==
1947年10月3日、米サンフランシスコ近郊のパロ・アルト生まれ。
7歳からギターを始め、やがて、サイケデリック・バンド「フリッツ」に参加。
バンド解散後、1967年に加入した同じ高校出身のスティーヴィー・ニックスとデュオ「バッキンガム・ニックス」を結成。1973年には同名のアルバムをリリースするが大した注目も浴びなかった。
しかし、2枚目のアルバムを録音中にイギリス出身の人気バンド「フリートウッド・マック」のリーダー、ミック・フリートウッドと出会い、少し前に抜けたボブ・ウェルチの後継として1975年1月、ニックスと共にバンドへ加入。
その後、音楽面のリーダーとして『ファンタスティック・マック』『噂』『牙(タスク)』『ミラージュ』等、名作アルバムの制作を支え、ライブツアーにおいても重要な役割を果たす。特に『噂』は、ビルボードにおいて全米アルバム・チャート31週連続でトップを維持し、リンジーも一躍時の人となった。
そんなバンド活動と並行しながら1981年にヒット曲「トラブル」を含む『ロー・アンド・オーダー』、1984年には実験的な『ゴー・インセイン』と2枚のソロ・アルバムを発表。
またこの間、ブライアン・ウィルソンランディ・ニューマンウォーレン・ジヴォン、ボブ・ウェルチ、ドリーム・アカデミーらとのセッションやプロデュースなどの活動も行っている。1985年には豪華な顔ぶれと共にUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのコーラスを担当。
1987年、傑作『タンゴ・イン・ザ・ナイト』リリースと同時に、突如マックを脱退。1992年に『アウト・オブ・ザ・クレイドル』をソロで出すも、長く表舞台に登場しない状態が続く。
1996年フリートウッド・マックは突如、絶頂期のメンバーで再結成ライブを行い、リンジーも復帰。そして、既に制作していたリンジーのソロ・アルバムを下敷きに、2003年にマックとして『セイ・ユー・ウィル』をリリース。
2006年10月、57回目の誕生日にソロ・アルバム『アンダー・ザ・スキン』を発表。ライブ活動を積極的に行う中、ソロ・アルバムの制作も継続して行っている。2008年9月に『ギフト・オヴ・スクリューズ』、2011年9月には『シーズ・ウィー・ソウ』といった諸作を、それぞれ発表している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リンジー・バッキンガム」の詳細全文を読む




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