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リバン・ヘルナンデス : ミニ英和和英辞書
リバン・ヘルナンデス
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


リバン・ヘルナンデス : ウィキペディア日本語版
リバン・ヘルナンデス

エイスラー・リバン・ヘルナンデス・カレーラ(Eisler Liván Hernández Carrera, 1975年2月20日 - )はキューバ出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。エル・デュケことオーランド・ヘルナンデスは異母兄。
== 経歴 ==
父と兄の影響で野球を始め、その実力もかなり高い評価を受けていた。1992-93シーズンからキューバ国内リーグ "セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル" のイスラ・ラ・フベントゥに所属していた。にキューバ代表の一員になったが、9月に遠征で訪れていたメキシコのホテルから姿を消し、そのままドミニカ共和国亡命。キューバ代表の将来のエース候補だったため激しい争奪戦となり、特にニューヨーク・ヤンキースフロリダ・マーリンズを50万ドル上回る500万ドルを提示した。マイアミが全米最大のキューバ系移民のコミュニティーを形成しているため最終的にマーリンズを選択し〔出村義和「リバン・ヘルナンデス 野球王国キューバから来た恐るべき「救世主」」『月刊メジャー・リーグ』1997年12月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-12、36項 - 39頁。〕、1月13日に4年総額450万ドルのメジャー契約を結ぶ。実際の年齢はもっと上ではないかと考える意見もある。
1996年はAAA級でプロデビューも食べ過ぎによる14キロのウエイトオーバーによる不調で10試合に登板し、2勝4敗・防御率5.14の成績でAA級に降格〔。AA級では9勝2敗・防御率4.34を記録し、9月のメジャーロースター拡大によりメジャーに昇格し〔、9月24日のブレーブス戦でメジャーデビューを果たした。
のスプリングトレーニングには体重を落として参加。レギュラーシーズンはAA級で1試合登板した後、AAA級に昇格し、6月にメジャー昇格。8月31日まで9連勝をマークし、最終的に9勝3敗・防御率3.18で新人王の投票ではスコット・ローレンに次ぐマット・モリスとともに2位タイとなった。チームはワイルドカードプレーオフへ進出も、ヘルナンデスはシーズン終盤3連敗と不調なため先発ローテーションから外され、リリーフとして登板していたが、ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第2戦でアレックス・フェルナンデスが右肩を痛め戦線離脱し、代役として2勝2敗で迎えた第5戦に先発登板した〔。主審が外角の判定に甘く、それに気付き徹底的にそのコースへ投げ、15奪三振を記録し、1失点で完投。ジョン・スモルツに投げ勝った。
チームは初のワールドシリーズへ進出し、初戦の先発を任された。5.2回を投げ3失点で勝ち投手の権利を得ての降板となり、チームは7対4で勝利した。しかし、ヘルナンデスは途中降板した自分自身に腹が立ち、グラブを投げつけ、帽子を何度もたたきつけていた〔。2勝2敗で迎えた第5戦は9回途中まで8四球ながらもシリーズ2勝目を挙げた。試合後キューバ政府から特別ビザが下り、2年ぶりに母との対面が実現した〔。チームは第7戦でワールドチャンピオンとなり、ヘルナンデスはシリーズMVPを受賞した。
7月25日にトレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍し、3月24日にはモントリオール・エクスポズへ移籍。
2003年からまで、3年連続でリーグ最多イニングを投げている。
2005年は開幕から絶好調で、4月24日から7月1日シカゴ・カブス戦までの間、12勝3敗、防御率3.48を記録。特に5・6月は負けなしだった。しかし、後半戦に入ると、5月中旬に痛めた左ヒザの状態が7月20日のコロラド・ロッキーズ戦以降、さらに悪化。シーズン中の手術も考えられたものの、閉幕まで投げ続けた。結局、後半戦は3勝7敗、防御率4.58と前半戦に比べると調子を落とした。それでも、シーズントータルでは自己2位タイとなる15勝、6年連続200投球回を達成。
もエースとして開幕からプレーするも、昨年の10月の手術の影響で不調に陥ってしまった。8月7日に熾烈なプレーオフ争いを繰り広げ、先発投手を求めていたアリゾナ・ダイヤモンドバックスにトレード移籍。移籍後は復調し、10登板で防御率3.76、登板試合すべてで5イニング以上、7試合で7イニング以上投げるなど、4勝5敗と負け越したものの安定した投球を披露(ナショナルズでは、24先発・9勝8敗・防御率5.34・146.2投球回)。
は、ヤンキースから出戻ったランディ・ジョンソンの長期離脱もあり、エースのブランドン・ウェブに続く先発2番手としてシーズンを通してプレー。10年連続199.2投球回以上となる204.1投球回を投げ、ローテーションを守り、プレーオフへ進むこととなる若手主体のチームで存在感を示した。しかし、その一方で8年連続10勝以上となる11勝こそ挙げたものの、負け数も同数の11敗、防御率4.93と精彩を欠いた。
2月12日ミネソタ・ツインズと1年500万ドルで契約を結んだ。10勝をあげたものの8敗、防御率5.48と不安定な投球だったため、8月1日フランシスコ・リリアーノと入れ替わる形で戦力外となった。8月6日コロラド・ロッキーズへ移籍した。
2月14日ニューヨーク・メッツとマイナー契約。4月11日にメジャーへ復帰。しかし、8月20日ビリー・ワグナーの復帰に伴い解雇された。その後8月26日、古巣のナショナルズに3年ぶりに復帰した。同年、両チーム通算で9勝12敗と負け越し、連続2ケタ勝利が9年で途切れた。
1月31日ヒューストン・アストロズとマイナー契約を結びスプリングキャンプに招待されるも、3月30日に放出される。その後直ぐにアトランタ・ブレーブスとリリーフ投手としてメジャー契約。6月22日ミルウォーキー・ブルワーズと契約するが、40人枠から外れた為に10月17日FAになることを選ぶ〔http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121018-00000214-ism-base〕。
3月12日に現役引退を発表した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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