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リッチー・ギンサー : ミニ英和和英辞書
リッチー・ギンサー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リッチー・ギンサー : ウィキペディア日本語版
リッチー・ギンサー[ちょうおん]

リッチー・ギンサーPaul Richard "Richie" Ginther, 1930年8月5日 - 1989年9月20日)は、アメリカ人のF1ドライバー。
== 経歴 ==
カリフォルニア州ロサンゼルスハリウッドで、3人兄弟の末っ子として生まれる。1946年頃には、兄の友人であるフィル・ヒルからドライビングテクニックを教わると言う幸運にも恵まれた。高校卒業後、一旦は就職するが約1年半後に退職し、フィル・ヒルのメカニックとなり、レースの世界へと足を踏み入れる事となる。21歳の時、2年間の兵役に着き、終了と共にフィル・ヒルの元に戻り、本格的にレースに打ち込んだ。
1956年、フィル・ヒルと共にメキシカン・パン・アメリカン・レースにフェラーリで出場。その後、アメリカ国内のレースに数多く出場し、1957年にはフェラーリでル・マン24時間レースをも走っている。
1960年、フェラーリのメンバーとしてアルゼンチン1000kmに出場し2位となり、この年、モナコグランプリでフェラーリのドライバーとしてF1デビューして6位に入賞した。更にこの年9月のイタリアグランプリでは、2位に入賞。翌1961年は、フェラーリの市販車テスト・ドライバーも兼ねF1グランプリに常時出場、15ポイントを獲得しランキング5位となった。
1962年から1964年の3年間、BRMと契約。1962年は8位、1963年は2位、1964年が4位の成績を残す。また、1964年にはF1史上5人目の年間全レース完走も達成した。
1965年にホンダと契約、最終戦メキシコグランプリで自身・ホンダ・グッドイヤーとも初となる優勝を果たした。
1966年、新3リッター・レギュレーションのイタリアグランプリでホンダRA273を操るが、クラッシュで負傷。カムバックして翌1967年、同じアメリカ人のダン・ガーニーが主宰するイーグルへと加入するが、同年に引退する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リッチー・ギンサー」の詳細全文を読む




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