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リック・ルーファス : ミニ英和和英辞書
リック・ルーファス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

リック・ルーファス : ウィキペディア日本語版
リック・ルーファス[ちょうおん]

リック・ルーファスRick Roufus1966年6月3日 - )は、アメリカ合衆国男性キックボクサー総合格闘家ウィスコンシン州ミルウォーキー出身。ルーファス・キックボクシング・センター所属。ニックネームは公式には「ザ・ジェット」であるが、「アメリカン・イーグル」とも呼ばれる。
キックボクサーのデューク・ルーファスは実弟。
ボクシングキックボクシングの両方において、成功した。
== 来歴 ==

1967年6月3日、アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキーで生まれる。幼少期、テコンドーを学んだ父の開いた空手道場で空手を学ぶ〔The Milwaukee Sentinel 1991年 3月15日 8ページ Karate clans need good, swift kick by MICHELE WUCKER 〕〔The Milwaukee Sentinel 1985年 8月4日 13ページ Father, son seek karate excellence by MARK SABLJAK 〕。テコンドーの技術の影響を受けたためか、後のプロの試合では、軸足をスライドさせながら放つ回し蹴りなどの影響が見られた。
1986年1月7日、ジョージア州で、シルベスター・キャッシュを下し、PKC全米ミドル級王座を獲得。
1987年4月16日、ジョージア州でジョン・モンカイヨを7RKOで下し、KICK世界スーパーミドル級王座を獲得した。
22歳のときに29戦目にしてアメリカ・ネバダ州ラスベガスで、チャンプア・ゲッソンリットタイ)とローキックありのルール(3分5R)で対戦。ただし、肘打ちと膝蹴りは禁止で、ルーファスにとって初めてのローキック有りの試合だった。初回にパンチで2度もダウンを奪うも、徐々にローキックを当てられ続け、右足を骨折してレフェリーストップによる4R1:23TKO負けした。
1989年7月20日、地元ミルウォーキーで行われたFFKAスーパーミドル級タイトルマッチでアンディ・メイヨと対戦。3RKOで王座を獲得した。
1990年2月4日、ペンシルベニア州で行われたFFKAライトヘビー級タイトルマッチでケビン・ワーリーを判定で下し王座を獲得。
1990年8月19日、PKC全米ミドル級王座の防衛戦を行うも、マレック・ピトロウスキーポーランド)に10R判定負けし、王座から陥落した。
1991年6月22日、イリノイ州シカゴで行われたISKAフルコンタクト&PKC世界ライトヘビー級ダブルタイトルマッチで、ピトロウスキー(王者)と再戦し、2RKO勝ちし両王座を獲得。
1991年、フランスで王座の防衛戦を行い、ロブ・カーマンと対戦。ローキック禁止に慣れないカーマンは思うように試合運びができず、ルーファスはパンチによるボディー攻撃で1Rにダウンを奪うと、2RにパンチでKO勝ちし、防衛に成功した。
1994年1月22日、アメリカ合衆国ネバダ州で行われた初代IKFプロフルコンタクト世界ライトヘビー級王者決定戦で、マイケル・マクドナルドカナダ)を1R0:43でKOで下し初代王者となった。
1994年3月27日、カナダのモントリールで行われたPKC世界ライトヘビー級タイトルマッチでジャン・イヴ・テリオーと対戦。テリオーはローキック無しのフルコンタクトルールでは非常に名の知れたキックボクサーだった。4R目に左フックでダウンを奪われるも、その後は終始パンチと勢いを活かしたコンビネーションで12R3-0の判定勝ちで王座の防衛に成功した。
1994年11月、フランスで行われたISKAフルコンタクト世界ライトヘビー級王座(2分12R)の防衛戦で、アーネスト・ホーストと対戦。ホーストとは2度目の対戦だった。9Rにパンチでスタンディングダウンを奪われると、11Rに右ハイキックを受けてKO負けした。負けたルーファスは失神してしばらく立ち上がれないほどダメージを負っており、酸素マスクが必要なほどだった。
1996年6月1日、イゴール・シャラポフを5RTKOで下し、ISKAフルコンタクト世界ヘビー級王座を獲得。
1996年8月10日、ショーン・マクレインを4RTKOで下し、WBCアメリカ大陸クルーザー級王座を獲得。自身初のボクシングの王座獲得に成功した。
1997年2月22日、USBAクルーザー級王座決定戦で、後にIBF世界クルーザー級王者になり、K-1にも参戦したアーサー・ウィリアムスと対戦。4RTKO負けし王座獲得に失敗した。
1997年9月7日、「K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦」でK-1に初参戦を果たした。ジェロム・レ・バンナと対戦し、レフェリーストップによるTKO負けを喫したが、バックハンドブローやダウンを奪うなど健闘を見せた。
1998年、IKFプロインターナショナル世界ヘビー級王者に転向し、初代王者に認定された。これは、IKFのルールにある「挑戦者が3年以上現れない」などの特定の条件を満たしたためである。この年に長女が生まれた。
1999年5月14日、アメリカ合衆国マサチューセッツ州で防衛戦を行い、スタン・ザ・マンオーストラリア)を9RTKOで下し同王座の初防衛に成功した。
2001年11月30日、デール・ブラウンに9RTKO負けし、ボクシングから完全に引退した。
2002年に再婚。2人の子供が生まれる。
2002年5月3日、「K-1 WORLD GP 2002 世界地区予選ラスベガス大会」に出場。1回戦でカート・ハスレイを、準決勝でデューウィー・クーパーをそれぞれ3R判定3-0で下すと、決勝戦でマイケル・マクドナルドと対戦。
: 両者は今回が2戦目だった。3R判定で引き分けになり、延長ラウンドに入ったが、試合中に左ひざを痛めたため、試合続行が不可能となりTKO負けになった。
2003年9月29日、IKFに正式に引退届けを提出(ただし、その後もIKF以外の試合には出場し続けている)、タイトルは返上された。その後アリゾナ州テンピに引越し、「ルーファス・キックボクシング・センター」を開設し、後進の育成・指導を始めた。
2004年8月7日、米国ネバダ州ラスベガスで行われた「K-1 WORLD GP 2004 in LAS VEGAS」のスーパーファイトでと対戦。曙がプッシングを繰り返し減点されたため、3R判定3-0で勝利した。
2005年4月30日、「K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGAS」で武蔵と対戦。3R判定1-2で敗れた。
2008年2月23日、総合格闘技デビューとなるStrikeforceモーリス・スミスと対戦し、ストレートアームバーで一本負けを喫した。
2012年10月14日、新体制となったK-1の日本大会に参戦、ジェームス・ウィルソンと対戦するも、お互い手数がほとんど出ず、結果ドローで凡戦に終わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リック・ルーファス」の詳細全文を読む




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