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チャンプア・ゲッソンリット : ミニ英和和英辞書
チャンプア・ゲッソンリット[ぷあ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

プア : [ぷあ]
 (n) poor, (n) poor

チャンプア・ゲッソンリット : ウィキペディア日本語版
チャンプア・ゲッソンリット[ぷあ]

チャンプア・ゲッソンリットChiangpuet Kiangsongrit、男性、1966年10月13日 - )は、タイ出身のムエタイ選手。正しくはチャーンプアック・ギアットソンリットと読む。「チャンプア」とはタイ語で「白象」という意味。
K-1初期に国際戦専用ボクサーとしてムエタイ代表で数々の名勝負を演じる。1980年代、日本のキックボクシングが衰退していた時期、力をつけ始めた欧州キックボクシング勢がタイに乗り込んできだした当時、タイでは重量級の選手がおらず、ムエタイ最強の看板を引っさげてパーヤップ・プレムチャイ、ラクチャート・ソーパサドポンそしてシティーサック・トゥーアヌソン等当時の重量級選手を欧州に送り込むも全敗と言った事態が続き、一部ではもはやムエタイが欧米に勝つのは不可能なのか?と囁かれた中、救世主の如く現れた重量級ムエタイボクサー。当時ヨーロッパ最強と言われたロブ・カーマンを撃破し、ムエタイ最強の名前を再びこの世に知らしめた。
== 来歴 ==
1989年11月29日、第2次UWF興行「U-COSMOS」で日本のリングに初登場、安生洋二と戦いドローに終わる。
1991年5月24日、後楽園で行われたWMK世界ヘビー級初代王者決定戦に出場し、マーロン・ベンジャミンと対戦。本来はオーランド・ウィットと対戦する予定だったが、来日できなくなったため、急遽対戦相手が変更になった。試合前には、チャンプアは世界ランク1位、ベンジャミンは世界ランク2位にランクされた。チャンプアが、2Rに左ストレートで最初のダウンを奪うと、左フックで2度目のダウンを奪い、さらに左ストレートで3度目のダウンを奪いKO勝ちを収めWMK初代ヘビー級世界王者となった。なお「WMK」とは、「ワールドマーシャルアーツキックボクシング」という意味である。
1993年4月30日、「K-1 GRAND PRIX '93」に出場。1回戦でブランコ・シカティックと対戦し、KO負けを喫した。
1993年12月19日に開催された80kg以下のトーナメント、K-2グランプリの決勝でアーネスト・ホーストと対戦。10kgもの体重差がありながら打たれても打たれても前に出続けたが、4ラウンドに失神KO負けとなった。しかし、観客からのチャンプアコールと拍手の喝采の中、タンカで運ばれ退場した。
1994年9月18日、K-1 REVENGEにてマイケル・トンプソンと対戦。3R開始直後、左中段後ろ回し蹴りでKO負け。この蹴りで小腸を断裂、しばらく試合から遠ざかっていたがその後再び日本のリングに帰ってくるも、もはや全盛時の勢いはなく数回の試合をこなした後、沖縄での試合を最後に日本のリングから姿を消した。
その後、ゲッソンリットジムの閉鎖を機に拠点をタイのパタヤー市のオランダ人のムエタイジムに移しヨーロッパ等で試合をこなしていたが、2006年12月にパタヤー市で開催された試合を最後にチャンプアが試合を行ったと言う話はない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「チャンプア・ゲッソンリット」の詳細全文を読む




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