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ランボルギーニ・ミウラ : ミニ英和和英辞書
ランボルギーニ・ミウラ[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ランボルギーニ・ミウラ : ウィキペディア日本語版
ランボルギーニ・ミウラ[らん]

ミウラ(''Miura'' )は、イタリアランボルギーニが開発・製造した2シーターミッドシップスポーツカーである。伝説の闘牛牧場ミウラ〔スペインの牧場'Miura'の闘牛の角にかかって死んだ名闘牛士は何人もいる。獰猛で頭が良く、角の大きなMiuraの闘牛は、今でも闘牛士の間で恐れられている。当時ミウラ牧場のオーナーはフェデリコ・ミウラでフェルッチオの友人であった。〕の名にちなんで命名された。ミウラのドアを全開にし、前から見た姿は正に大きく立った角をもつ闘牛のようである。
== 概要 ==

トラクターの製造販売やエアコンなどの事業で大成功を収めたフェルッチオ・ランボルギーニフェラーリに対抗すべく1963年に興したランボルギーニによって1966年3月ジュネーヴ・モーターショーにて発表され、1966年から1973年までに約750台〔フレーム製作を担当したマルケージ社の記録では747台。〕が生産された。
ベルトーネによる流れるようなスタイルの2シータークーペでV型12気筒をミッドシップに横置きし、発表時のプレス向け主要諸元によれば350馬力のノルマーレ仕様でもわずか980kgの車体を最高速度300km/hまで引っ張るとされた(実測データはミウラSで278km/hというデータが残っている)。
当時、12気筒の大排気量をミッドシップに積んだクルマは前例がなかった。のちに各メーカーとも類似のスーパーGTを登場させた。
1965年トリノ・オートショー(11月)で発表され、期待のかかった4L V12をミッドに載せたベアシャーシTP400に1966年3月のジュネーブショーでボディを架装し発表されるや、当時ベルトーネに就任したばかりのマルチェロ・ガンディーニによるその流麗なスタイリングが注目の的となり100を越すオーダーが殺到した。1967年から生産体制を一応は整えたが、その時点ではまだリアヘビーによるハンドリングの欠点、パワートレーン系が出す盛大なノイズ、冷却性能、などいくつもの問題が解決しておらず、たくさんのバックオーダーを抱えたランボルギーニはしかたなく生産を続けながら改良を加え、最終的にはリアサスペンションほかに大きな改良がされたSVと呼ばれるモデルが製造された。
当時ミッドシップスポーツはいくつかが市販されていたが、ミウラのような大排気量で横置きのものは初めてで開発は難航した。シャーシ設計およびミウラの開発プロジェクトの発案者はジャンパオロ・ダラーラ。ジョット・ビッザリーニ設計のランボルギーニ・1号エンジンをベースにミウラ用に改良したのはパオロ・スタンツァーニで、シャーシの製造はランボルギーニ1号車(350GTV)からその製作を請け負っていたマルケージ社である。
ボディの設計とデザインはカロッツェリア・ベルトーネで、当時あたり前のようにミウラはジョルジェット・ジウジアーロの作品であると出版物に書かれたが、実際の原案スケッチから始まる一連の作業はすべてマルチェロ・ガンディーニであった。長年にわたり、ミウラのデザインはジウジアーロかガンディーニかで「ミウラ論争」が繰り広げられて来たが、ジウジアーロがベルトーネ在籍時にデザインしたカングーロやテスチュード、さらに1964年にジウジアーロがISOを想定して書いた架空のミッドシップカーGRIFO A3/Cの正面図と側面図から、ジウジアーロのデザイン要素を抽出し、ベルトーネの伝統的なテイストを保持することをガンディーニが放棄しなかったこと、また、流行のボディスタイルが流線型からウェッジ・シェイプへと移る過渡期であったことと、ベルトーネ・チーフスタイリストの交代劇が重なったということから生まれた誤解であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ランボルギーニ・ミウラ」の詳細全文を読む




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