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ランディー・クートゥア : ミニ英和和英辞書
ランディー・クートゥア[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ランディー・クートゥア ( リダイレクト:ランディ・クートゥア ) : ウィキペディア日本語版
ランディ・クートゥア[ちょうおん]


ランディ・クートゥアRandy Couture1963年6月22日 - )は、アメリカ合衆国男性俳優、元総合格闘家ワシントン州エバレット出身。エクストリーム・クートゥア主宰。元UFC世界ヘビー級王者。元UFC世界ライトヘビー級王者。
四十路を越えてもなお、厳しいトレーニングを重ねトップの選手と闘って勝利を収め、UFCの王者になったことから「鉄人」とも称される。グレコローマンのクリンチ、テイクダウン技術に加えパンチ、パウンドに優れ、今日の総合格闘技の戦法に大きな足跡を残した。UFCにおいて、2階級通算6度の王座戴冠という前人未到の記録を達成している。
息子のライアン・クートゥア、3人目の元妻キム・クートゥアも総合格闘家である。
== 来歴 ==
若い頃は地元で盛んだったスキーの選手になりたかったが、家の経済事情から断念し、グレコローマン・レスリングを選択。NCAAチャンピオンに2度、全米選手権王者に2度輝き、1988年1992年1996年のオリンピック補欠。その後、カレッジ時代仲の良かったドン・フライが出場したUFC 10を観戦し、総合格闘技への転向を決意。それまでにアメリカ陸軍ではボクシングとレスリングを通算6年間経験した〔ランディ・クートゥア UFC公式サイト〕。
1997年5月30日、33歳での総合格闘技デビュー戦となったUFC 13のヘビー級トーナメント1回戦でトニー・ホーム、決勝でスティーブン・グラハムを破り優勝を果たした。
1997年10月17日、UFC 15のヘビー級王座挑戦者決定戦でビクトー・ベウフォートと対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。
1997年12月21日、UFC Japanの世界ヘビー級タイトルマッチでモーリス・スミスと対戦し、2-1の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
2000年にはリングスKING OF KINGSトーナメントにAブロックから参戦し、ジェレミー・ホーン柳澤龍志を破るが、準々決勝でヴァレンタイン・オーフレイムフロントチョークで敗退した。
2003年6月6日、ライトヘビー級転向初戦となったUFC 43の世界ライトヘビー級暫定王座決定戦でチャック・リデルと対戦し、マウントパンチでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。
同じく2003年、映画「ブラック・ダイヤモンド」に出演。
ジェット・リーとの共演がある。
2003年9月26日、UFC 44の世界ライトヘビー級王座統一戦で正規王者ティト・オーティズと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
2004年1月31日、UFC 46の世界ライトヘビー級タイトルマッチでビクトー・ベウフォートと再戦し、カットでTKO負けを喫し王座から陥落した。
2004年8月21日、UFC 49の世界ライトヘビー級タイトルマッチでビクトー・ベウフォートと再戦し、ドクターストップでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。試合後には、試合を観戦していたPRIDEミドル級(-93kg)王者のヴァンダレイ・シウバに統一戦を要求した。
2005年1月から4月にかけて放送されたリアリティ番組The Ultimate Fighter 1」でチャック・リデルと共にコーチを務めた。
2005年4月16日、UFC 52の世界ライトヘビー級タイトルマッチでチャック・リデルと再戦し、パウンドでKO負けを喫し王座から陥落した。
2006年2月4日、UFC 57チャック・リデルの持つUFC世界ライトヘビー級王座に挑戦し、右フックでKO負けを喫し王座獲得に失敗した。敗戦直後に引退を表明した。6月24日、The Ultimate Fighter 3 Finaleのイベント中に、史上3人目となるUFCの殿堂入りが発表された。
2006年11月17日、グラップリング大会のX-MISSIONにおいてムンジアル王者にしてアブダビ王者のホナウド・ジャカレイと対戦。40歳を超えてグラップリング界のトップ選手に引き分けた。
2007年1月11日、UFC 68での復帰とヘビー級への転向が発表された。同年2月3日、ラスベガスに設立した自らのジム「エクストリーム・クートゥア」のジム開きを行った。
2007年3月3日、43歳での復帰戦となったUFC 68の世界ヘビー級タイトルマッチでティム・シルビアと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
2007年8月25日、UFC 74の世界ヘビー級タイトルマッチでガブリエル・ゴンザーガと対戦し、マウントパンチでTKO勝ちを収め王座の初防衛に成功。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。44歳にして王座を防衛したが、3Rにゴンザーガのハイキックをブロックした際に左前腕を骨折。全治6週間の重傷となった。
2007年10月11日、2試合の契約を残したままUFCからの離脱および世界ヘビー級王座の返上を表明(実際には王座の返上・剥奪は行われなかった)。これに関してクートゥアは、PRIDEヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルがUFCとの契約が成立せず対戦が実現しなかったこと、ギャラへの不満等を理由に挙げている。前後して、ユニバーサル映画「スコーピオン・キング2」へ主演し、南アフリカで撮影を行った。
以来、UFC(ズッファ)と複数の法廷闘争を行っていたが、2008年7月31日、HDNetがズッファに対して起こした裁判でテキサス州最高裁判所が「クートゥアの契約不履行」との判断を示し、事実上の敗訴となった。9月2日、UFCの記者会見で和解の成立およびUFCとの再契約が発表された〔【UFC91】鉄人復帰、レスナー戦へ。ノゲイラ&皇帝は? MMAPLANET 2008年9月3日〕。
2008年11月15日、1年3か月ぶりの復帰戦となったUFC 91の世界ヘビー級タイトルマッチでブロック・レスナーと対戦し、パウンドでTKO負けを喫し王座から陥落した〔【UFC91】レスナー、クートゥアー破り快挙達成! MMAPLANET 2008年11月16日〕。
2009年8月29日、UFC 102アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、0-3の判定負け〔【UFC102】ノゲイラが鉄人撃破、クートゥアーは引退を否定 MMAPLANET 2009年8月30日〕。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。11月14日、UFC 105ブランドン・ヴェラと対戦し、ダウンを奪われる場面もあったが判定勝ちを収めた〔【UFC105】46歳クートゥアー、約2年振りの勝ち名乗り MMAPLANET 2009年11月15日〕。
2010年2月6日、UFC 109マーク・コールマンと対戦。UFC殿堂入り選手同士の対戦となったが、チョークスリーパーで一本勝ちを収めた〔【UFC109】“魂のオヤジ対決”クートゥアーが一本勝ち MMAPLANET 2010年2月7日〕。
2010年8月28日、UFC 118で元ボクシング3階級王者のジェームズ・トニーと対戦。シングルレッグのタックルでテイクダウンし、すぐにマウントを奪取して肩固めで一本勝ちを収めた〔【UFC118】ボクシング王者トニー、MMA初戦は見せ場なく MMAPLANET 2010年8月29日〕。
2011年4月30日、引退試合となったUFC 129リョート・マチダと対戦し、前蹴りでKO負けを喫した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ランディ・クートゥア」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Randy Couture 」があります。




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