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ラサ・オッペンハイム : ミニ英和和英辞書
ラサ・オッペンハイム
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ラサ・オッペンハイム : ウィキペディア日本語版
ラサ・オッペンハイム
ラサ・オッペンハイム〔「国際文献紹介 規範政治学としての法実証主義--国際社会、勢力均衡とラサ・オッペンハイムの実証主義国際法」国際問題2003-01(国際問題研究所) からこの人名邦訳を選定した〕(Lassa Francis Lawrence Oppenheim、1858年3月30日 - 1919年10月7日)は、ドイツ・イギリスの法学者。現代における国際法実証主義の父のひとりとみなされている〔19世紀後半から20世紀にかけてウェストレークなどと同様に当時を代表する国際実証主義法学者。「十九世紀から第一次世界大戦までの自己保存権と自衛権」西嶋美智子(九大法学2011年)PDF-P.23〕。
ドイツフランクフルト近郊ヴィンデッケン(Windecken)に生まれ、ベルリン、ゲッティンゲン、ハイデルベルク、ライプツィヒ大学で教育を受けた。1881年、ゲッティンゲン大学で博士号を取得。フライブルクで療養生活を送った後、1895年にイギリスに渡り1900年に市民権を取得、1919年の死までイギリスに居住した。
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで1908年から教鞭を執り、ケンブリッジ大学における国際法講座教授(Whewell Professor of International Law)も務めた。1905年から1906年にかけて国際法に関する著名な論文を執筆し、第8版についてはHersch Lauterpachtにより、もっとも著名な第9版はRobert JenningsとSir Arthur Wattsにより編集出版された。
==著作==

* ''Die Rechtsbeugungsverbrechen'' (1886)
* ''Die Nebenklage'' (1889)
* ''Die Objekte des Verbrechens'' (1894)
* ''Das Gewissen'' (1898)
* ''International Law:'' volume i, ''Peace'' (1905; second edition, 1911), volume ii, ''War'', (1906; second edition, 1912)
* ''The Science of International Law'' (1908)
* ''International Incidents'' (1909; second edition, 1911)
* ''The Future of International Law'' (in German, 1912; English, by Bate, 1914)
* ''The Panama Canal Conflict'' (1913)
* Westlake's collected papers (1914)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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