翻訳と辞書
Words near each other
・ ラインベーク
・ ラインホルト
・ ラインホルト・エバーティン
・ ラインホルト・エヴァルト
・ ラインホルト・クナッケ
・ ラインホルト・シュンツェル
・ ラインホルト・ニーバー
・ ラインホルト・バハラー
・ ラインホルト・バルヒェット
・ ラインホルト・フーン
ラインホルト・マイヤー
・ ラインホルト・メスナー
・ ラインホルド・ニーバー
・ ラインホルード・ニーバー
・ ラインホーラ
・ ラインホールド・ニーバー
・ ラインマンズ・ループ
・ ラインムーティア
・ ラインムーティア (小惑星)
・ ラインムート第1彗星


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ラインホルト・マイヤー : ミニ英和和英辞書
ラインホルト・マイヤー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ラインホルト・マイヤー : ウィキペディア日本語版
ラインホルト・マイヤー[ちょうおん]

ラインホルト・マイアーReinhold Maier, 1889年10月16日 - 1971年8月19日)は、ドイツ西ドイツ)の政治家1957年から1960年まで自由民主党 (FDP) 党首。バーデン=ヴュルテンベルク州初代首相。
== 経歴 ==
シュトゥットガルト近郊のショルンドルフ (Schorndorf) 出身。父親は建築家で、宗派はプロテスタント。シュトゥットガルトのギムナジウムを卒業後、グルノーブル大学テュービンゲン大学で法学を学ぶ。学生時代からリベラル思想の持ち主だった。ラーフェンスブルクでの司法修習を経て、ハイデルベルク大学法学博士号を取得。第一次世界大戦に従軍後、1920年に弁護士免許を取得した。
ヴァイマル共和国時代にはドイツ民主党に所属し、この党は1930年にドイツ国家党に合流した。1930年からヴュルテンベルク州経済大臣を務める。1932年にドイツ帝国議会議員に選出されるが、ナチスが政権をとると、1933年3月にナチスが提出した全権委任法に賛成票を投じ、その際の演説では「国民と祖国の利益のため、法治の回復を期待して、我々は疑念を抑えて全権委任法に賛成票を投じる」と締めくくっている。しかし直後に、この法律を根拠に議席を奪われて党も解散に追い込まれ、またヴュルテンベルク州経済大臣の地位も失った。さらにナチスの圧力でユダヤ人の血を引く妻との離婚を強いられ、妻と2人の子供はイギリスに亡命した。妻とは第二次世界大戦後に再婚している。
戦後の1945年民主人民党結成に参加した。同党は現在、FDPのバーデン=ヴュルテンベルク州支部となっている。また1945年から1952年まで、アメリカ軍軍政部の指名により、米国占領地域であったヴュルテンベルク=バーデン州(現在のバーデン・ヴュルテンベルク州北部)首相に就任。1948年にリベラル新党であるFDPに合流。1952年に新たにバーデン=ヴュルテンベルク州が発足すると、同州の首相となった。州議会第一党であったドイツキリスト教民主同盟 (CDU) を排除した、ドイツ社会民主党などとの連立政権であった。州首相として、1952年から1953年に持ち回り順で連邦参議院議長を務めた。1953年に短期間州の法相を兼任した。
CDUが勝利した1953年のドイツ連邦議会選挙で当選して州首相を辞任し、1959年まで連邦議会議員を務めた。1957年から1960年まで、第3代FDP党首を務めた。1969年にシュトゥットガルト市名誉市民。シュトゥットガルトで死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラインホルト・マイヤー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.