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ヨハン・フィーアダンク : ミニ英和和英辞書
ヨハン・フィーアダンク[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨハン・フィーアダンク : ウィキペディア日本語版
ヨハン・フィーアダンク[ちょうおん]

ヨハン・フィーアダンク(Johann Vierdanck, 1605年頃 - 1646年4月1日)は、ドイツ作曲家ヴァイオリニストオルガニスト
== 生涯 ==
1615年ドレスデンにあるザクセン選帝侯の宮廷楽団の聖歌隊員となり、宮廷作曲家のハインリヒ・シュッツに師事し、師から賞賛を受けた〔In einem Brief vom 23. Sept. 1616 an Christoph v. Loß bemerkt Schütz: ''„Johannes ist ein feiner sittsamer mensch, hat in der Composition gar einen guten und fundamental anfang gemacht, daß wohl heut oder morgen von ihm etwas zu hoffen ist.“'' (zitiert nach: Irene Hempel: ''Heinrich Schütz. Briefe und Eingaben''. VEB Deutscher Verlag für Musik. Leipzig, 1985)〕。さらにヴァイオリンツィンクを学び器楽奏者となった。この時期ドレスデンの宮廷にはヴァイオリンの名手カルロ・ファリーナが在籍しており、大きな影響を受けた。しかし宮廷の財政が悪化する状況の中、1625年にシュッツの推薦でウィーンへ留学した。
1631年から1632年にかけてメクレンブルク=ギュストロー公国でヴァイオリン奏者として仕え、かつて在籍していたイギリス出身の作曲家ウィリアム・ブレイドの音楽に触れることができた。その後、リューベックコペンハーゲンで活動し、コペンハーゲンでシュッツと再会した。またこの時期にヴァイオリニストのヨハン・ショップニコラウス・ブレイヤーらと出会い、彼らに曲集を献呈している。
1635年シュトラールズントの聖マリア教会のオルガニストに就任し、その死まで在職した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨハン・フィーアダンク」の詳細全文を読む




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