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ヨハン・クリーク : ミニ英和和英辞書
ヨハン・クリーク[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

クリーク : [くりーく]
 【名詞】 1. (1) cleek (golf) 2. (2) creek 3. (P), (n) (1) cleek (golf)/(2) creek
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨハン・クリーク : ウィキペディア日本語版
ヨハン・クリーク[ちょうおん]

ヨハン・クリークJohan Kriek, 1958年4月5日 - )は、南アフリカポンゴラ出身の元男子プロテニス選手。1981年1982年全豪オープン男子シングルスで2連覇を達成した選手である。自己最高ランキングはシングルス7位、ダブルス12位。ATPツアーでシングルス14勝、ダブルス8勝を挙げた。同国のライバル選手、ケビン・カレンとは年齢も同じ親友である。身長175cm、体重76kg、右利き。
1978年にプロ転向。1981年1982年の2年連続で、全豪オープン男子シングルスに大会2連覇を達成する。当時の全豪オープンは、開催時期も過渡期にあり、1978年から1985年までの8年間は、年末の12月に大会が行われていた。クリークが2連覇を達成したのは、その年末開催だった時代のことである。決勝戦は2年連続で、スティーブ・デントンアメリカ)と対決した。しかし、1983年全豪オープンでは準々決勝でスウェーデンマッツ・ビランデルに敗れ、大会3連覇はならなかった。ビランデルには同じ全豪オープンで、1984年の準決勝と1985年の準々決勝でも敗れ、同じ大会で3年連続の敗退に終わっている。
全豪オープン以外の4大大会シングルスでは、1980年全米オープン1986年全仏オープンで準決勝進出があるが、ウィンブルドンは(全豪2連覇と同じ)1981年1982年のベスト8が最高成績であった。
クリークは全盛期に、1981年から1983年までの3年連続で、男子テニスツアーのシングルスでそれぞれ3勝ずつを記録している。彼のシングルス優勝記録は1987年で終わったが、ダブルスでは1988年まで優勝記録を残している。彼の最後の優勝は、1988年4月に日本東京で行われた「サントリージャパン・オープン」男子ダブルスであった。この時クリークはオーストラリアジョン・フィッツジェラルドとペアを組み、スティーブ・デントンデビッド・ペイト組(ともにアメリカ)を 6-4, 6-7, 6-4 で下して優勝を飾った。
クリークは1994年のシーズンを最後に現役を退いたが、最近では同じ年のライバルであったケビン・カレンとダブルスでペアを組み、ウィンブルドンの「45歳以上の選手による男子ダブルス」部門で3連覇を果たしている。

== 外部リンク ==

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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨハン・クリーク」の詳細全文を読む




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