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マッツ・ビランデル : ミニ英和和英辞書
マッツ・ビランデル[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビラ : [びら]
 【名詞】 1. villa 2. handbill 3. poster 4. , (n) villa/handbill/poster
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

マッツ・ビランデル : ウィキペディア日本語版
マッツ・ビランデル[らん]

マッツ・ビランデル(Mats Wilander、1964年8月22日 - )は、スウェーデン・ヴェクショー出身の元男子プロテニス選手。ビョルン・ボルグステファン・エドベリと並んで、スウェーデンの男子テニス界の黄金期を築いた3強豪のひとりである。4大大会でシングルス通算「7勝」を挙げ、ダブルスでも1986年ウィンブルドンで優勝した。彼は4大大会男子シングルスで、クレーコート・芝コート・ハードコート、すべてのサーフェスを制した史上2人目の選手でもある(現在まで、ジミー・コナーズ、ビランデル、アンドレ・アガシロジャー・フェデラーラファエル・ナダルの5人のみが達成した)。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス3位。ATPツアーでシングルス33勝、ダブルス7勝を挙げた。右利きの選手。
== 選手経歴 ==
1981年にプロ入り。1982年全仏オープンにて、17歳9ヶ月の若さで4大大会初優勝。その決勝戦ではアルゼンチンのベテラン選手、ギリェルモ・ビラスとの大熱戦を制し、大会初出場で初優勝を飾った。直後の1983年1月に先輩のビョルン・ボルグが突然の引退表明をしたため、ビランデルに対するスウェーデンのスポーツ界の期待が高まった。1983年1984年全豪オープンで大会2連覇を達成する。1985年までの全豪オープンは、「クーヨン・テニスクラブ」の芝生コートで12月の年末に開催されていた。1985年には全仏オープンで3年ぶり2度目の優勝を果たした。1986年はシングルス部門ではやや不振の年となったが、ウィンブルドンではヨアキム・ニーストロムと組んだダブルスで初優勝を飾っている。翌1987年は調子を取り戻し、全仏オープン全米オープンでは決勝に進出する。しかしどちらもイワン・レンドルに敗れてしまい、準優勝に終わった。
マッツ・ビランデルは1988年にキャリアの最盛期を迎え、ウィンブルドンを除く4大大会年間3冠を獲得した。全豪オープン決勝ではパット・キャッシュ全仏オープン決勝ではアンリ・ルコントを破り、それぞれの大会で地元選手の優勝を阻止している。ところが、最も苦手な芝生のウィンブルドンで、男子テニス界で“スウェーデン・キラー”と呼ばれてきたチェコスロバキアミロスラフ・メチージュに準々決勝で敗れ、年間グランドスラムのチャンスは消えた。4大大会年間最終戦の全米オープンでは、決勝でイワン・レンドルと「4時間55分」に及ぶ激戦を繰り広げて、悲願の大会初優勝を果たす。年間3冠獲得は1974年ジミー・コナーズ以来14年ぶりの快挙達成であった。ビランデルはこの勝利により、レンドルから世界ランキング1位のポジションを奪取した。
しかし1989年に入ると、ビランデルのテニス成績は急降下を始める。全豪オープンでは2回戦でインドラメシュ・クリシュナンに敗れ、全仏オープンでも準々決勝でソ連アンドレイ・チェスノコフに敗れ去る。年頭には1位だった世界ランキングも下降の一途をたどり、夏の終わりには5位に転落していく。そして全米オープンでは2回戦で当時18歳のピート・サンプラスに敗れ、一気に前年までの輝きを失っていった。1990年全豪オープンで準決勝に進出したものの、1988年当時の輝きはもう戻らなかった。
ビランデルは引退後、一時期マラト・サフィンのコーチを務めたこともあった。2002年国際テニス殿堂入りを果たし、現在は男子テニスのシニア・ツアーを転戦している(最初は35歳以上の現役引退選手が対象であったが、最近になってシニア・ツアー参戦の最低年齢が30歳に引き下げられた)。2003年からは、デビスカップのスウェーデン代表監督も務めている。
ビランデルと同年代に当たるステファン・エドベリ1996年に現役を引退した後は、スウェーデンテニス界は往時の輝きを取り戻せない状態になっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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