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ヨハン・クリスチャン・ダール : ミニ英和和英辞書
ヨハン・クリスチャン・ダール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨハン・クリスチャン・ダール : ウィキペディア日本語版
ヨハン・クリスチャン・ダール[ちょうおん]

ヨハン・クリスチャン・ダールJohan Christian Dahl1788年2月24日 - 1857年10月14日)は、19世紀ノルウェー画家ロマン派の代表的画家に数えられる。
==生涯==

=== 修業時代 ===

ノルウェーベルゲンの漁師の子として生まれる。決して恵まれた環境に生まれたとは言えず、後年『もし裕福な家の子供として生まれていれば、良い教師に恵まれ、今よりも良い絵が描けていただろう』と述べている。少年時代は聖職者になるための教育を受けていた。しかしそこで教師たちはダールに絵の才能を見出し、デンマークコペンハーゲンの絵画アカデミーに進学させたのである。当時はまだノルウェーはデンマーク領だった。陽気な性格のダールはコペンハーゲンにはすぐに馴染み、1年後の1812年には初めての展覧会を開くほどになった。そしてその3年後の1815年にはクリスチャン・フレデリック王子が彼のパトロンにつくことになった。この王子は1814年のほんの一時期、ノルウェースウェーデンに割譲されるまでノルウェー国王となっていた人物で、のちのデンマーク国王クリスチャン8世である。しかし単に金銭などの支援のみならず、身分を越えて非常に仲の良い友人となった。
1818年にドレスデンを訪れたダールは有力な市民や芸術家の歓迎を受けた。その中に生涯の友人であり師となる画家のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒもいた。その地でフリードリヒらドイツロマン派の画家の強い影響を受ける。1820年にはドレスデンアカデミーの一員となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨハン・クリスチャン・ダール」の詳細全文を読む




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