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ベルゲン : ミニ英和和英辞書
ベルゲン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ベルゲン : ウィキペディア日本語版
ベルゲン

ベルゲン(, )は、ノルウェー西岸ヴェストラン地方ホルダラン県の都市および基礎自治体である。2012年5月現在の人口はベルゲン自治体全域で約265,400人、統計的な地域であるベルゲン都市圏で約390,500人で、ノルウェーでは首都オスロに次ぐ規模の都市である。自治体の面積は465km2で、ベルゲン半島に位置し市中心部や北部の地区はビフィヨルン(Byfjorden)に位置しベルゲンの街は7つの山を中心に形作られている。多くの郊外の自治体が島嶼にある。ベルゲンはホランダラン県の行政の中心地で、アルナ(Arna)、オルスタド(Årstad)、オサネ(Åsane)、ベルゲンフス(Bergenhus)、ファナ(Fana)、フィリングスダレン(Fyllingsdalen)、ラクセヴォグ(Laksevåg)、イトレビグダ(Ytrebygda)の8つの行政区で構成されている。
ベルゲンでの交易は1020年代の初期に始められたとされるが、 1070年まで都市としては組織されなかった。ベルゲンは1217年から1299年までノルウェーの首都であり、13世紀後半からはハンザ同盟都市となった。1789年までベルゲンはノルウェー北部と国外の仲介交易の独占権を謳歌していた。波止場やブリッゲンが残され、世界遺産になっている。ベルゲンは多くの火災に見舞われてきた。公立のビジネススクールであるノルウェー経済校(Norges Handelshøyskole)が1936年に設立され、ベルゲン大学が1946年に設立されている。1831年から1972年までベルゲンは独立した県であった。その後、ベルゲンは周辺の自治体と大合併が行われている。ベルゲンは国際的な養殖業海運、海洋石油産業、海底技術の中心地でノルウェーの学術、観光、金融の中心都市でもある。
== 歴史 ==
ベルゲンは伝統的にハーラル3世の子オーラヴ3世によって1070年に創建されたと考えられ ている。ヴァイキング時代終焉から4年後のことである。しかしながら、現代の調査ではすでに1020年代から1030年代に交易地として集落が形成されていたことが発見されている。1236年にはドイツのハンザ商人によって商館が建てられ、13世紀末にはハンザ同盟の在外四大拠点のひとつが存在する町となり、各地から商人職工が集まって現在のブリッゲン (Bryggen) 地区の旧市街(世界遺産)を形成した。ベルゲンの重要性は、ハンザ商人が独占した、ノルウェー海の海産物(特に北部ノルウェーの干しダラ)の交易によるもので、この交易は1100年頃には始まっていた。
14世紀にはベルゲンはノルウェーの交易の中心としての地位を確立した。ハンザ商人たちは町に独自の居住区を作り、中世低地ドイツ語を用い、毎年夏にベルゲンにやってくる北部の漁師との独占的な取引の権利を享受していた。
今日、ベルゲンの古い波止場やブリッゲンUNESCO世界遺産となっている。
ベルゲンの町は歴史を通して多くの大火に襲われている。1198年のノルウェー内戦時にビルケバイネル派と対立するバグレル派によって町に火が放たれた。1248年に''Holmen''と''Sverresborg''が燃え、11の教会が焼失している。次いで1413年にも大火が町を襲い、14の教会が焼失した。1428年にベルゲンはハンザ同盟の意を受けた海賊に略奪を受けたが、1455年にムンケリヴ修道院が焼け落ちた火も同じ海賊の放ったものである。1476年にブリッゲンが酔った商人により全焼している。1582年には市の中心部とストランシデン(Strandsiden)が火災に見舞われている。1675年にオヴリガーテン(Øvregaten)で105の建物が焼失し、1686年に再びストランシデンを大火が襲い231街区と218の船小屋が焼失した。1702年の大火では市街の90%が焼失し灰に帰した。1751年には''Vågsbunnen''で大火。1756年には再びストランシデンを襲った火災が1,500の建物を焼損。ストランシデンはさらに1771年、1901年にも火災に見舞われた。1916年には市の中心部で300の建物が焼失し、1955年にはブリッゲンの一部が焼失した。
1349年、軽率にもノルウェーには黒死病をもたらしたのは、ベルゲンに到着したイングランド船の乗組員だった。 15世紀にはベルゲンの町は幾度となくヴィクチュアルブラザーと呼ばれる私的に雇われた略奪のプロにより襲撃された。〔http://www.munichre.co.jp/public/PDF/Topics_piracy.pdf〕1429年に略奪団は城と町のかなりの部分を焼くことに成功している。1536年、国王はサクソン商人をノルウェーの市民になるか故郷に帰るかどちらかを強制するにいたり、これによりサクソン人の影響力は低下を告げた。1665年、ベルゲン港ではイギリス船と町の守備隊などが支援するオランダ船との間でヴォーゲンの戦いが起こった。
15世紀や16世紀を通じてベルゲンはスカンジナビア最大の都市として残り、1830年代までオスロが首都として大都市になるまでノルウェー最大の都市であった。
またベルゲンはノルウェー北部の貿易の独占権を1789年まで維持していた。
第二次世界大戦時にはドイツが最初に侵略した1940年4月9日に占領され、その後しばらくしてドイツの艦船とノルウェーの要塞砲の間で戦闘が起こった。ドイツ占領中の1944年4月20日に120トン以上の爆薬を積んで停泊していたオランダの貨物船フールボーデ号が爆発し約150人が死亡し歴史的な建物が被害を受けている。ベルゲンは港のドイツの艦船を攻撃目標とした空爆を連合国からいく度か受けており、民間人の死傷者は100人程度になる。
ベルゲンは1831年以来、1972年までホルダラン県とは別に独自の県にあった。ベルゲン自治体が設立されたのは1838年1月1日でベルゲン郊外自治体が統合されたのは1877年1月1日である。
郊外の自治体であるオルスタンドは1915年7月1日にベルゲンに合併されている。アルナ、ファナ、ラクセヴォグ、オサネがベルゲンに合併されたのは1972年7月1日のことで、同時にベルゲン市は独自の県としての地位を失い現在の自治体範囲が確定している。〔ベルゲンは現在、ホルダラン県の一自治体である。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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